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コロナの時代にこそ政治家は自らの哲学と構想を語れ

「ポスト安倍」を担う自民党の総裁候補に求められること

田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授

新しい目標の設定に必死になった宮沢喜一氏

 同じように、終戦を前向きに受け止めたのは、宮沢喜一元首相だ。

拡大自民党の宮沢喜一氏。この半年後に首相になった=1991年4月3日、東京・虎ノ門
 若き大蔵官僚であった彼は、終戦の報に接して感動し、大きな希望が湧いてきたという。、そして、これからは、「平和」、「自由」、「繁栄」の三つの目標を追求する新しい国づくりが始まると確信し、日本再建の過程で、少しでも役割を果たしたいと感じたという。

 宮沢氏は、戦後最大の政治の転換点は60年安保紛争だが、経済面における最重要の転換点は、プラザ合意(1985年)だと明言していた。この合意による急激な円高が、結果的に日本に巨大なバブル景気をもたらし、経済と国民生活をほんろうすることになった。

 「平和、自由、繁栄はほどほどに実現したから、四つ目は“公正”かな」と、宮沢氏が初めて私に言ったのは、プラザ合意の後であったと思う。このまま放置して、成り行きに任せていけば、公正でない社会、格差が拡大する社会になるのではないかと、宮沢氏は危惧していたのだろう。

 首相になる前、「資産倍増計画」や「生活大国構想」を世に問い、新しい目標の設定に必死になった背景には、そうした問題意識があったに違いない。しかし、当時の日本は、保守政治のおごりが構造汚職を生み、政治に対する国民の信頼は地に墜ちており、宮沢構想は容易には実現に至らなかった。

愕然とした「骨太の方針」の原案

 かねてから私は、政治には政治家個人から滲(にじ)み出る哲学、思想、政策、構想が不可欠だと信じている。それがない政治は、堤防のない河川のように氾濫が常態化し、収拾がつかない。別の言い方をすれば、政治には現実と対照できる目標、構想が常に必要なのである。

 こんなことをあえて書くのは、政府が出した今回の「骨太の方針」(経済財政運営と改革の基本方針)の原案を見て、愕然(がくぜん)としたからだ。

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筆者

田中秀征

田中秀征(たなか・しゅうせい) 元経企庁長官 福山大学客員教授

1940年生まれ。東京大学文学部、北海道大学法学部卒。83年衆院選で自民党から当選。93年6月、自民党を離党し新党さきがけを結成、代表代行に。細川護熙政権で首相特別補佐、橋本龍太郎内閣で経企庁長官などを歴任。著書に『平成史への証言 政治はなぜ劣化したのか』(朝日選書)https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20286、『自民党本流と保守本流――保守二党ふたたび』(講談社)、『保守再生の好機』(ロッキング・オン)ほか多数。

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