神津里季生・山口二郎の往復書簡(8)
2020年07月17日
連合の神津里季生会長と法政大学の山口二郎教授の「往復書簡」。今回は、7月9日に「公開」した神津会長の「新型コロナを契機に社会変革 日本を救うのは『排除』ではなく『包摂』」への山口教授の返信です。
今回の神津さんの書簡「新型コロナを契機に社会変革 日本を救うのは『排除』ではなく『包摂』」も興味深く拝見しました。
現実の政治に関われば、状況判断を誤り、人間に対する評価を間違うことは避けられません。私も、20年にわたって今の立憲民主党や国民民主党とその前身の政党を応援してきましたが、失敗は山ほどあります。大事なことは、失敗を認めて軌道修正を図ること、そして投げ出さないことです。
政権交代を担う対抗政党(opposition party)の創造は私の一生のプロジェクトです。日本語で野党というと、政府に文句ばかりつけている頼りない政党というイメージが付きまとうので、あえて対抗政党という言葉を使います。
民主党政権崩壊後、対抗政党の構築は賽の河原の石積みといった状況ですが、ここで諦めては何のために生きてきたのかわかりません。
神津さんが先の書簡で指摘されたとおり、得体の知れない恐怖は、為政者にとって権力を保つための格好の道具です。自分たちの生活を脅かす魔物は、「ユダヤ人」、「移民」等だと断定し、人々の恐怖を憎悪に転換することができれば、全体主義の支配を立ち上げることができます。
ソーシャルメディアが発達した今、恐怖を煽(あお)ることはいっそう容易になっています。全体主義は決して1930年代の昔話ではありません。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という俚諺(りげん)がありますが、恐怖をもたらす源の正体を明らかにするのは、学者やメディアの仕事でしょう。
新型コロナウィルスについては、ワクチンや治療薬が開発されるまで、恐怖はなくなりません。しかし、感染の抑え込みに成功した国々の例にならい、感染の実態を明らかにして、的確な対策を立てるのは、専門家と政府の仕事です。しかし、今の政府を見ていると、経済回復を急ぐあまり、感染対策を後回しにしている感があります。
1兆7千億をかけた「GoToキャンペーン」などはその典型です。現状で、気楽に旅行に行きたいと思う人が、一体どれだけいるのでしょうか。観光業界の支援は感染が落ち着いてからでよいと、大半の国民は考えるはずです。
得体の知れない恐怖に関連して、私は最近、1973年に刊行された小松左京の『日本沈没』を思い出しています。当時の日本は第1次石油危機に見舞われて高度経済成長が突然止まった時代で、巷では終末論が流行り、地殻変動によって日本列島がプレートの下に沈み込むという物語に、人々は飛びつきました。
小松は少年時代に戦争を体験し、国家と自分の関係を問うことを生涯のテーマとしていました。この作品は、日本という国がなくなった時に、日本人はどう生きるかを想像するという、政治的な小説でもあります。
この十年の日本は、東日本大震災と原発事故、毎年のように続く大規模な台風と洪水、そして今回の新型コロナウィルスの蔓延(まんえん)と、様々なショックにたびたび襲われ、犠牲者も出続けています。人口減少が進み、非大都市圏の地域の多くの地方自治体が消滅すると予想されています。
列島が崩れ落ちることはないとはいえ、我々が当たり前に存在していると思い、頼ってきた物的な基盤や社会的制度が沈没しつつあるのではないかという恐怖が、人々の間に広がっていることを感じます。アニメ化された『日本沈没2020』がつい最近、Netflixで公開されたのは、いかにも示唆的です。
沈没を防ぐのは、政府の任務です。とはいえ、「賢明な為政者」に任せればよいというわけではありません。
『日本沈没』の中で、国土や自然を失うことを悲嘆する主人公に対して、沈みゆく日本にあえて残ったある老人が語りかける印象的な言葉があります。
「日本人は若い国民じゃな。…家は沈み、橋は焼かれたのじゃ。外の世界の荒波を、もう帰る島もなしに、わたっていかねばならん。いわばこれは、日本民族が、否応なしにおとなにならなければならないチャンスかもしれない」
若い国民とは、国家のために命を投げ出す寸前だった敗戦時の小松自身のことも意味していると思います。おとなの国民とは、自ら国家を立ち上げ、自分たちのために政府に仕事をさせる国民のことでしょう。
政治思想の概念を使えば、
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