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「介護」は自発的な意思でなされるべきだ~相模原殺傷事件後の世界

金滿里さんに聞く【前編】~いまこそ「家族」を、「社会」を問おう

岩城あすか 情報誌「イマージュ」編集委員

すべての人間は「二面性」を抱えている

――裁判は終わったのに、重要なことが何ひとつ語られていないともやもやします。

 この大虐殺が語られる際、「優生思想」という言葉が飛び交っているが、一言で片づけられるものではない。殺された19人の命は戻ってこないけど、“親御さんの美談”で終わってしまっている。理解のある親が傍聴に来たり、取材に答えたりすることはもちろん悪いことではないが、それらをすべて世の中が「美談」として扱う。「自分の大切な娘・息子がいてくれたおかげでいかに人生が豊かになったか」という事実はもちろんあるだろうが、物事のポジティブな面しか取り上げず、ネガティブな面が報道されないのはマスコミの体たらく。
 家族は、私からみたら、社会構造の中での差別を一番先に体現する人。

――親はどうすればよいのでしょうか。

 親は子どもを捨てるしかない。「一生面倒をみる」のではなく、「捨てる」のは正しいこと。ただし、施設に捨てるのではなく、道端とか、国会の前に捨てて、「社会全体で育ててくれ」という。「自分ひとりの手にはあまるけど、この子と生き合いたいんや」と。
 「社会の楔(くさび)から一歩抜けるよ」と、親が切り離してくれてはじめて、子はようやく違う道を見つけていけるだろうし、また見つけていかないといけない。
 「施設」は社会の小市民たちが、ぬくぬくとした自分たちの生活を守るための安全弁。障碍を持つ人が施設に入れられる選択肢しかない現実を作っている一員だというのを直視すること。それと、殺された人たちの氏名が隠されたままであることが公然となっていることも大きな問題。

 確かにそうだ。福祉新聞(2017年2月3日号)「【相模原殺傷事件】『第1に考えたのは家族の分裂回避』「やまゆり園」家族会長が講演」という記事に、次のような会長の言葉が紹介されている。

 「私は13人のご葬儀に顔を出させて頂いた。ご遺体はどのお顔も非常に穏やかだった。まるで障害がなかったかのような顔をして旅立たれたのを見て、ある意味、安堵した」

 これでは殺されてなお、ありのままの姿が受け入れられていないことが明白である。あるがままに受け入れられることなく、人里離れた施設に隔離され(地域からの抹殺)、深夜眠っているところを惨殺され(この世からの抹殺)、さらには匿名、記号として報道、裁判がなされる(社会的に抹殺)ことのむごたらしさ(論座『相模原障碍者大虐殺事件 劇団態変の闘い』参照)。自分が殺された本人だったら、この何重もの抹殺に、魂すら再起不能な深さに貶められると感じる。

拡大3年目の追悼アクションで使われた、無念にも命を奪われた19名の方たちのぼり。それぞれのカラーをイメージして作られた。

――この事件以降、ますます匿名報道が増えています。

 氏名がどんどん伏せられ、唯一性がなくなることが「あたりまえ」になってくるのが非常に不気味。裁判にしても、ついたての中で家族たちを見えないように隠し、通路も別にしているのは全体主義的ではないか。犯人の表情をなぜみようとしないのか。ついたての中か外か、どちらにいるのかはひとりずつ個々で判断し、隠れたい人だけが隠れたらよいと思う。
 1年前におきた「京都アニメーション」への放火殺人事件では、会社(京アニ)が被害者の名前を公表することを望まなかったが、一人ずつ遺族の説得があり、事件後しばらくしてすべての被害者の氏名が公表された。相模原では、誰か遺族を説得しようとした人はいたのだろうか。施設に入れられ無残にも殺され、氏名も隠されて土に埋められて。どれだけ奥に閉じ込めるのか。
 相模原は4年もたっているのに、今年になって犠牲者の名前はひとりだけ、しかも下の名前だけが明らかにされている。このことは、それだけでも涙が出るほど嬉しかったのだけど、社会に差別があるから、名字は公表できない現実だということ。


筆者

岩城あすか

岩城あすか(いわき・あすか) 情報誌「イマージュ」編集委員

大阪外国語大学でトルコ語を学んだ後、トルコ共和国イスタンブール大学(院)に留学(1997年~2001年)。通訳やマスコミのコーディネーターをしながら、1999年におきた「トルコ北西部地震」の復興支援事業にもボランティアとして関わる。現在は(公財)箕面市国際交流協会で地域の国際化を促す様々な事業に取り組むほか、重度の障碍者のみで構成される劇団「態変」の発行する情報誌「イマージュ」(年3回発行)の編集にも携わっている。箕面市立多文化交流センター館長。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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