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「敵基地攻撃能力」とは何か? イラク戦争当時の国連での議論から考える

日本の論争に示唆を与える「先制攻撃」と「予防攻撃」との相違点

川端清隆 福岡女学院大学特命教授(元アフガン和平担当国連政務官)

二転三転したイラク戦争の開戦理由

 イラク戦争の開戦理由について、アメリカ政府の説明は二転三転した。

 ブッシュ政権は2001年に発生した対米同時多発テロの1年後に、「ブッシュ・ドクトリン」といわれる新たな国家安全保障戦略を打ち立て、テロなどの新たな脅威に対して、攻撃を受ける兆候があれば先手を取って攻撃をしかける先制攻撃(preemptive attack)で対応することを明言した。

拡大国連総会で演説するジョージ・ブッシュ米大統領=2002年9月12日、ニューヨーク
 開戦半年前の2002年9月には、ブッシュ大統領が国連総会の演説で、イラクが核兵器開発の野望を捨てずに関連情報を秘匿していると糾弾したうえで、サダム・フセイン大統領が率いるイラク政権を「深刻で増大する脅威(a grave and gathering danger)」と決めつけた。同じ時期、コンドリーザ・ライス大統領補佐官はイラクが核兵器を保有している確証はないと認めつつも、「だからといって(核攻撃による)きのこ雲を見るまで待つべきではない」として、切迫した脅威に対する先制攻撃の必要性を強く示唆した。

 先制攻撃の必要性を主張するブッシュ政権を支えたのは、「国連の査察が始まりさえすれば、大量破壊兵器(WMD)の証拠はすぐ見つかる」とのパウエル国務長官の見通しが示すように、今振り返れば楽観的に過ぎる予断であった。国連は2002年11月末に、イラクでの査察を再開した。ブッシュ大統領は同月にワシントンを訪れた当時のコフィ・アナン国連事務総長に対して、「もし(査察団を率いる)ブリックス委員長の上に一発の弾丸でも飛べば、アメリカは直ちに行動する」と告げて、査察の実施を全面的に後押しする決意をみなぎらせた。

 ところが、翌2003年1月にかけて国連査察が本格化すると、事態は一変した。査察団がイラクの何処を探しても、核兵器を含む大量破壊兵器(WMD)開発の証拠が見つからなかったのである。初期の査察結果は、国連加盟国の間で大量破壊兵器の存在への疑問を喚起して、イラク危機の平和的解決への期待を高めた。安全保障理事会の中では、常任理事国であるフランスや当時非常任理事国であったドイツなどが、国連査察が完了するまでアメリカによる武力行使を認めないとの立場を明確にした。フランスのドビルパン外務大臣は安保理会議後に記者団に対して、「現時点で戦争を正当化するものは何もない」と言い切り、開戦にはやるアメリカに真っ向から反駁した。

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筆者

川端清隆

川端清隆(かわばた・きよたか) 福岡女学院大学特命教授(元アフガン和平担当国連政務官)

大阪府出身。通信社を経て1988年より25年にわたり国連本部政治局で政務官として勤務。アフガン和平交渉やイラク戦争の戦後処理に関わった後、2004年以降は安保理担当として第二次核危機以降の北朝鮮の核ミサイル問題に関する審議に関わる。2013年より現職。著書に「アフガニスタン 国連和平活動と地域紛争」(みすず書房)や「イラク危機はなぜ防げなかったのか 国連外交の六百日」(岩波書店)。共著に「PKO新時代 安保理からの証言」(岩波書店)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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