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戦後75年、変わりゆく「国柄」 集団的自衛権、敵基地攻撃、そして…

安倍政権で膨張する「専守防衛」 「非核」は聖域であり続けるか

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

拡大原爆ドーム=今年3月、広島市中区。朝日新聞社

 戦後75年の夏は、日本の「国柄」が変わる節目になるかもしれない。日本人が戦争の惨禍を様々に想起するこの8月、政府は「安全保障戦略の新たな方向性を打ち出す」(安倍晋三首相)として、敵基地攻撃能力の保有も視野に議論に入った。その先に何があるのか考えたい。

 「国柄」というと大げさに聞こえるかもしれないが、国内に行き渡る考え方や、それが外に向く姿勢とでも言おうか。社会の慣習や政治制度といった形で多様に現れるが、ここでの話は戦後日本の安全保障政策についてだ。

 1945年8月の広島と長崎への米国による原爆投下を経た敗戦を受け、日本の国柄として現れた安保政策は、長いあいだ抑制的なものであり続けてきた。

拡大被爆直後の爆心地・原爆ドーム付近=1945年、広島市中区。松本栄一撮影

 米軍の占領下、1947年施行の新憲法は戦力不保持を掲げたが、自衛のためであれば戦力ではないとして54年に自衛隊が生まれる。60年には日米安保条約を改定し、米国の日本防衛義務が記された。日本の米国防衛義務の定めはないが、「極東の平和と安全」のため国内で基地を米軍に提供し続けることになった。

 この構造の下、1960年代までに日本の安保政策の骨格が固まる。他国を守る集団的自衛権の行使は違憲とされた。敵国の本土に届く敵基地攻撃能力や核兵器の保有は、自衛のための必要最小限なら違憲ではないが、政策として持たず、米国に頼ることにした。

 こうした日本の国柄は「専守防衛」という言葉で表現される。政府答弁では1970年代から本格的に使われ、今に引き継がれている。

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筆者

藤田直央

藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)

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