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地政学からみたワクチン開発

楽観報道の裏に政治性と情報操作の影

塩原俊彦 高知大学准教授

 世界保健機関(WHO)の2020年7月21日公表の資料によると、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に対する臨床段階にあるワクチンは24品目で、その前段階にあるのが142品目にのぼる。同日公表された「日経バイオテク」調べでは、有効性を検証するための最終段階の大規模臨床試験である第三相臨床試験に至る開発品は5品まで増えているという。

 こうした現状に対して、権威あるロシア語雑誌「エクスペルト」のインタビュー記事(2020年No. 27)のなかで、モスクワ国立大学生物学部ウイルス学部長のニコライ・ニキチンは、「ワクチンの市場投入ラッシュは、疫学的というよりも政治的なものである」と指摘していることをぜひ紹介しておきたい。だからこそここでは、ワクチン開発の現状を紹介するとともに、その問題点について地政学的に考察してみたいのである。

 なお、「中国独自の最先端医療研究にみる「生-権力」への疑問:「ポスト近代化」の胎動がはじまっている」で紹介したように、ソ連時代からロシアのワクチン開発は世界最高水準にある。ゆえに、ニキチンの話は日本のテレビに登場する「専門家」よりもずっと信頼できると筆者は思っている。

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ワクチン開発の現状

 ワクチン開発には大きく分けて、ウイルスの病原性を弱めた減衰型ウイルスを使うか(生ワクチン)、病原性をなくしたウイルスの一部を使うか(不活化ワクチン)の二つの方法がある。

 前者は免疫不全症の人が本当の感染症にかかってしまう可能性や、体内で自然に突然変異したウイルスが病原体の形に戻ることもありうるため、近年、忌避される傾向にある(ただし、米バイオテクノロジー企業コダゲニックスはインド血清研究所と共同開発中)。後者が多くの研究機関が開発しようとしているもので、ウイルスの一部を抗原として免疫を誘導するワクチンの開発が行われている。

 わかりやすく説明すると、いわゆる抗原は、抗体や他の免疫反応を生成するために体を刺激するものである。ウイルスに感染した細胞がウイルス性たんぱく質を作らざるを得なくなると、そのたんぱく質の一部を抗原として表面に表示し、免疫システムの注意を引くために小さな旗のように振り回すと考えられている。こうして免疫を誘導するのである。

 この免疫誘導には、たんぱく質・ペプチドをベースにしたもの、ウイルスやプラスミドといったベクター(運び屋)を使ったもの、核酸(mRNA)をベースにしたものなどがある。ごく簡単に「日経バイオテク」の記事などにしたがって説明すると、つぎのようになる。

① 「たんぱく質・ペプチドベースのワクチン」

 遺伝子組み換え技術を用いて、植物や昆虫細胞、動物細胞に抗原とするたんぱく質やその一部のペプチドを作らせ、単離・精製して投与する。SARS-CoV-2に対しては、仏サノフィ・パスツールが2017年に買収した米プロテイン・サイエンシーズの技術を活用し、昆虫細胞で製造した組み換えたんぱく質ワクチンを開発しようとしている。ヤンセン・ファーマも組み換えたんぱく質ワクチンの開発を実施中だ。米ノバックス、中クローバー・バイオファーマシューティカルズなどもSARS-CoV-2の突起部分の目につきやすいスパイクたんぱく質ワクチンの開発をねらっている。国内でも国立感染症研究所(感染研)が組み換えたんぱく質ワクチンの開発を進めている。

② 「ウイルスやプラスミドをベースにしたワクチン」

 細菌などに存在する環状DNAのプラスミドやヒトに害を及ぼさないウイルスに、抗原とするたんぱく質をコードする遺伝子を搭載して投与し、体内でそのたんぱく質を発現させる。たとえば、チンパンジーからとった一般的な風邪のウイルス(アデノウイルス)という呼吸器感染症を含むいくつかのヒトの病気の原因となるウイルスが使われている。これは、RNAゲノムをもつコロナウイルスとは異なり、DNAウイルスで、これを使ってヒトへの感染の際に足掛かりとなるスパイク(S)たんぱく質を大量に生み出し、それに反応して免疫反応を引き起こす。

 7月20日に学術誌『ランセット』に公表された論文で話題となった、オックスフォード大学と英大手製薬アストラゼネカのワクチンは、SARS-CoV-2スパイクたんぱく質を発現するチンパンジー・アデノウイルス・ベクター(運び手)ワクチンのことである。「第一/二相試験」のために1077人を対象にした臨床試験で、SARS-CoV-2に対する中和抗体反応が、1回の投与後に二つの方法で測定したとき、一方では35人中32人(91%)、他方では35人(100%)で検出された。

③ 「mRNAをベースにしたワクチン」

 抗原とするたんぱく質を産生させるためのmRNA(核酸の配列)を投与するもので、同ワクチンを接種すると、細胞内でmRNAから抗原とするたんぱく質が発現し、免疫を誘導する。これは関心のある抗原の遺伝子を、DNAまたはRNAの一部として体内に導入するというものだ。体内の細胞は、ワクチンが記述した抗原を製造し、免疫反応を起こすことになる。

 たとえば、中国とアメリカのバイオテクノロジー企業であるBeijing Advaccine BiotechnologyとInovio Pharmaceuticalsがそれぞれ開発したDNAワクチンと、国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)と提携している米バイオテクノロジー企業、モデルナが開発したRNAワクチンが開発途上にある。

 ワクチン開発の最新状況については、「コロナワクチン、先頭集団は5品目 最後の臨床試験入り」という記事が詳しいので参考にしてほしい。

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筆者

塩原俊彦

塩原俊彦(しおばら・としひこ) 高知大学准教授

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士(北海道大学)。元朝日新聞モスクワ特派員。著書に、『ロシアの軍需産業』(岩波書店)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(同)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局)、『ウクライナ・ゲート』(社会評論社)、『ウクライナ2.0』(同)、『官僚の世界史』(同)、『探求・インターネット社会』(丸善)、『ビジネス・エシックス』(講談社)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた』(ポプラ社)、『なぜ官僚は腐敗するのか』(潮出版社)、The Anti-Corruption Polices(Maruzen Planet)など多数。

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