「溜飲下げる」様相も 人種偏見解消への議論に結びつくかがカギ
2020年07月29日
米中西部ミネアポリスで黒人男性が白人警官に首をひざで押さえつけられて死亡した事件の余震は、2カ月がたった今もなお収まっていない。米国の警察組織に巣くうレイシズム(人種差別主義)をえぐり出したこの事件とは別に、市井の人々の心の中に潜むレイシズムをあぶり出した、もう一つの「事件」もまた、静かながら強烈な波紋を広げている。
それはミネアポリスの事件と同じ5月25日、ニューヨークのセントラルパークで起きた。
趣味のバードウォッチングを楽しんでいた黒人男性のクリスチャン・クーパーさん(57)が、公園内で飼い犬を放して遊ばせていた白人女性(41)に規則を守って犬をリードにつなぐように注意すると、女性はこれに逆上。やおら携帯電話を取りだして、「アフリカ系米国人の男性に命を脅かされている。すぐに警官を寄越してほしい」と警察に通報した。女性が犬をリードにつないだため、クーパーさんは「ありがとう」と声をかけてその場を去り、この時は「事件」にはならなかった。
ところが、クーパーさんが携帯電話で撮っていた一部始終を、親族がSNSに投稿して事態は一変した。動画は一気にネットで拡散し、「許しがたい人種差別だ」として米国社会に憤激を巻き起こした。女性は翌日、勤務先の投資会社を解雇された。
同社は「わが社はいかなる人種差別も容認しない」と発表。ニューヨークの検察当局が捜査に乗り出し、7月6日、女性を虚偽申告の罪で起訴すると発表した。
別にだれかの命が失われたわけでも、負傷したわけでもない。にもかかわらず、この事件が大きな波紋を広げた理由のひとつが、「アフリカ系米国人(黒人)の男性」という表現を用いて女性が警察に通報していたことだ。
少なからず数の米国人が真っ先に思い浮かべた事件がある。
「エメット・ティル事件」だ。
1955年、南部ミシシッピ州で14歳の黒人少年エメット・ティルさんが、買い物に訪れた雑貨店で店主(白人)の妻(同)に口笛を吹いたとして店主が激高。ティルさんを拉致してリンチを加え、殺害した惨劇だ。店主らは逮捕されたが、白人男性の陪審団は「無罪」の評決を下した。その後、店主らはメディアに殺害を認めた。
南部の多くの州では1960年代まで異人種間の婚姻を禁じる法律が残るなど、白人女性と黒人男性の接触が長らく犯罪視されてきた。エメット・ティル事件は、事実究明より前に条件反射のように「黒人男性=加害者、白人女性=被害者」とみなす「白人特権」の理不尽を白日の下にさらした。
一方、ミネアポリスの事件で改めて問題視されたように、現在でもなお黒人は白人より3倍の比率で警官に殺されている。
つまり、白人女性が「黒人の男に襲われた」と通報すれば、その黒人男性は白人男性の場合よりもひどい扱いを警察から受け、運が悪ければ身体や命にかかわる事態になりかねないという社会通念の闇が、この21世紀の米国においても存在するのだ。
通報されたクーパーさんはハーバード大学を卒業し、今は科学専門の文筆業・編集者をしているエリート知識人だった。だが親族は米メディアに「もし警察が出動していたら、彼の学歴や職歴は何の助けにもならなかったでしょう」と話している。
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