連合主導の野党合同新党結成はなにをもたらすのか
2020年08月05日
立憲民主党と国民民主党の合流による野党合同新党の結成がほぼ確実となった。7月29日、両党の幹事長・政調会長の間で新党の綱領、規約、党名を取りまとめることが決定されたことで、大筋の合意がつくりあげられたからだ。さらに社会民主党も、同党の吉田幹事長が秋の臨時大会で合同新党合流の可否を問うことを明言している。
立憲民主党、国民民主党、社会民主党という「三つの民主党」の合同が成立すれば、1955年の左右社会党合同に匹敵する歴史的な野党再編になる。この合同新党結成の機運の高まりにまず敏感に反応したのは与党自民党だった。自民党二階幹事長は7月21日の記者会見で、解散総選挙について「いま、それよりもやることがある」と含みのある発言をした。この発言の意図には、新型コロナ対策だけではなく、「成立するはずのなかった」野党合同新党が結成にこぎつけたことによる、総選挙戦略の見直しが込められている。
事実、野党合同新党については「どうせできっこない」という諦めと嘲笑が政界を覆ってきた。昨年8月、立憲民主党枝野代表が、国民、社民両党に対して「野党共同会派」の結成を呼び掛けた。昨年臨時国会以後、立国社は国会内で共同会派を結成し、日本共産党とも国対委員長・政調会長間での連携を強化し、野党一枚岩での国会論戦に挑むことで、「桜を見る会」などの追及の実績を積み上げてきた。この積み上げを足掛かりに昨年12月、立国社幹事長レベルの会合で、「一つの政党になることを目指す必要性を共有した」として、合同新党結成の道筋がつけられていた。
ところが今年1月に入り、立憲民主党枝野代表、国民民主党玉木代表の協議は、12時間以上費やしたにもかかわらず頓挫し、以後通常国会開会を理由に協議は中断した。社民党も合流判断の見送りを決めた。幹事長・政調会長レベルでの合意形成を覆すほどに、立憲、国民両党間の壁は高かったのだ。
2017年の「希望の党騒動」が引き金となった旧民主党の分裂は、国会議員のみならず党職員、地方議員。支持者のレベルにまで及び、両党が独自路線をすすめればすすめるほど亀裂は深まっていたのだ。では、この行き詰まりの状況を打開したのは誰か。合同にむけたイニシアティブを発揮したのは政党ではなかった。労働組合のナショナルセンターのひとつ「連合」が乗り出したのである。
6月18日、連合は第8回中央執行委員会で、立憲民主枝野代表と福山幹事長、国民民主玉木代表と平野幹事長を招き、ポストコロナの社会像を両党とともに取りまとめることを決定した。立国両党と連合による政策協議の場が設定され、以後緊密な連絡関係がとられていくことになる。
そしてこの5日後の6月23日に、立国両党幹事長・政調会長間の合同新党結成にむけた協議が再開するが、この取りまとめ過程には連合相原康伸事務局長(自動車総連出身)が深く関与していたといわれている。合流協議が佳境に達していた7月29日、連合・神津里季生会長(基幹労連出身)は枝野、玉木両代表と会合し、「理念、政策の共有を生かすためにも、合流協議に非常に期待している」と念押しをした。連合幹部が野党再編でここまで公然とイニシアティブを発揮するのは、1993年の細川連立政権にいたる再編劇を仕掛けた山岸章連合初代会長以来といえるだろう。
なぜ、連合はかくも積極的に合同新党結成にイニシアティブを発揮したのだろうか。その理由のひとつは、2017年の「希望の党騒動」にある。小池百合子東京都知事率いる希望の党に、民進党が丸ごと合流し総選挙に挑むはずが、民進党内リベラルを排除したことで分裂し、立憲民主党と国民民主党が誕生することになったあの騒動である。
連合神津会長は、希望の党結成に至るプロセスへの自身の関与について克明に明らかにしている(注1)。その内容を一言でいえば、
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