渡辺惣樹『第二次世界大戦 アメリカの敗北』を読む
2020年08月10日
日頃、自らを無知と思い、できるだけ多くの書物や論文に接しようと心掛けてきた。それでも、人それぞれ好みがある。筆者の場合、わかりやすく言えば、「右翼」っぽい書籍はあまり読まない。そんな偏りを心配する友人から先般、2020年に上梓された『戦後支配の正体 1945-2020』(ビジネス社)を読むように勧められた。宮崎正弘と渡辺惣樹による対談である。
まず、歴史を読み解く場合、「日本史」など存在しないという視点が大切だ。これは、筆者の30年来の友人である出口治明・立命館アジア太平洋大学学長が「週刊文春」で行っている連載「0から学ぶ「日本史」講義」の初回で指摘していることである。
この視点が意味しているのは、日本史も世界の影響を古代から受けつづけてきたのであり、その意味で、あえて言えば、日本史はあくまで世界史の一部でしかないということだ。ゆえに、いつの日本のことを考えるにも、世界との関係をよく意識しなければならない。このサイトで世界の潮流への理解が大切だと何度も訴えているのも、こうした視角に立つ重要性のためなのである。
この世界史という視点の大切さについては、最初に紹介した本に的確な例が書かれている。それは、「島原の乱」(1637~1638年)についてである。
島原の乱については、渡辺が指摘するように、筆者も「野蛮な徳川幕府が可哀そうなキリスト教徒を虐殺し弾圧した」程度の理解しかもっていなかった。しかし、世界史的視点に立てば、「島原の乱は幕府の弾圧に対するキリスト教徒の反乱ではなく、その背景には、ポルトガルとオランダの対立、すなわちカトリック対プロテスタントの信仰をめぐる戦いがあった」。島原の乱はヨーロッパで起きた血で血を洗う宗教戦争である三十年戦争(1618~1648年)の「日本における局地戦」であったと解釈できる。
同じように、日本による朝鮮併合という歴史をみてみると、どうなるのか。紹介した新書には、つぎのように記述されている。
「しかしフィリピンと朝鮮の覇権をバーターすることは公にはできなかった。アメリカは米朝修好通商条約(1882年)を結んでおり、その第一条はアメリカに朝鮮の権益を保護する義務のあることを規定していた。もちろんアメリカの外交指導に朝鮮が応え、近代化を日本のように進めていくことが前提だった。しかし、朝鮮王朝はその気配を見せなかった。
T・ルーズベルト大統領はそれに苛立ち、朝鮮の運営(近代化作業)は日本に任せたいと考えていた。従って、日本の目を朝鮮に向けさせることはアメリカにとって二つの意味を持つことになった。面倒な朝鮮近代化作業を日本に任せ、かつフィリピンへの関心を捨てさせることであった。朝鮮に深入りすることに消極的だった伊藤博文が動かざるを得なかったのは、アメリカの圧力があったからであった。1905年11月には第二次日韓協約を締結して朝鮮王朝から外交権を剥奪し、1910年には併合となった」
つまり、朝鮮併合問題を日本と朝鮮だけからみるのではなく、米国を含めたもっと広い視野からみると、日本による朝鮮併合は米国に促された面をもつことになる。「日本の朝鮮覇権を認めたのはアメリカであり、そのイニシアチブを取ったのもアメリカであった」と指摘されると、唸ってしまう。筆者はこんな視点を初めて知ったと正直に語らざるをえない。
前述のT・ルーズベルトはセオドア・ルーズベルトのことであり、1901年~1909年の2期にわたって米大統領を務めた。これに対して、フランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)は1933年から1945年4月12日に死亡するまでに4選を果たしたことでよく知られている。彼は、世界経済恐慌下の米国をケインズ経済学的手法で回復させ、第二次世界大戦の終結・その後の世界秩序の構築に尽力した人物として好意的に語られることが多い。しかし、こうした多数説がまったく誤りであることがこの新書を読めばよくわかる。
決定的なのは、ソ連の
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