権力の盛衰とともに変化する言葉に敏感であれ
2020年08月21日
「言葉と権力」といえば、『想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』(書籍工房早山)で有名なベネディクト・アンダーソンが書いた『言葉と権力 インドネシアの政治文化探究』(日本エディタースクール出版部)が思い起こされる。
植民地化のオランダ語、長い間存在したパッサール(バザール)のマレー語、政治的言語として生まれたインドネシア語という言語環境が複雑に入り乱れ、まさに言葉そのものが権力と一体化していた経緯が分析されている。そこに、日本軍政時代に国家語としてインドネシア語が正式に登場したという印象深い事実もあった。
そしていま、人種差別をめぐって、言葉と権力の関係が注目されている。The Economist電子版の記事のなかに、“Talking to someone becomes a question of power”という一文が何気ないかたちで登場する。「誰かと話すことは権力の問題になる」というのだ。
白人が白人同士で話すとき、あるいは白人と黒人が話すとき、そこにはすでに「社会における白人の中心性と優越性」が埋め込まれているのではないか。『反人種主義者になる方法』(未訳)の著者、イブラム・X・ケンディの「人種とは『基本的には権力のアイデンティティ』であり、人種差別とは、白人を最も強力な集団として維持する社会的・制度的システムである」という指摘がある。そうであるからこそ、言葉のような社会的・制度的システムにも権力関係が潜んでいるのである。
日本人でも言葉と権力の問題に敏感であった人がいる。田中克彦である。彼の『言語からみた民族と国家』(岩波書店)では、「我々の世代は、国家によって、名が容易にとりかえられるという実例をあまりにも多く見すぎてきた」として、小学校から国民学校へ、シンガポールから昭南島へ、ふたたびシンガポールへ、紀元節は建国記念の日へ、支那は中国へと改名された例が紹介されている。
筆者自身、大学4年生のとき、ルーマニア語でクルジュ・ナポカ、ハンガリー語でコロジュバールと呼ばれる両国の領土問題になっているトランシルヴァニア地方の都を訪問したことがある。あるいは、同じ旅で訪れたアウシュヴィッツ強制収容所にしてもドイツ語読みであり、ポーランド語では、オシヴィエンチムという。これは、ドイツ語のダンツィヒをポーランド語でグダニスクと呼ぶのと同じだ。想えば、ここも大学生のときに行ったことがある。どうやら、筆者は「言葉と権力」に魅せられて生きてきたようだ。
言葉には、経済的な側面もある。ゆえに、言葉をうまく利用すれば、権力者にとって利益をも生み出す。フロリアン・クルマス著『ことばの経済学』(大修館書店)を読むと、言語の経済的価値は、①一つの言語を(1)母語として、(2)外国語として話す集団人口統計上の数、②言語の辞書的処理、2言語辞典のネットワークの密度、ある言語への翻訳とその言語からの翻訳の量、そして言語の電子処理の水準、③国際的な言語市場における商品としての一つの言語に対する需要、その言語が基礎をなす産業の規模、ならびに世界的にその言語の習得のために支出される国民総生産の割合――などの要因によって決定されると指摘されている。
中国政府が孔子学院を通じて中国語を世界中に伝播しようとしているのも、言葉の「ソフトパワー」としての側面に注目しているだけでなく、儲けにつながるという目論見があるからなのだ。ドイツ語のゲーテ・インスティテュート、フランス語のアテネ・フランセや日仏学院も似たようなものだろう。
こんな大切な言葉なのだが、実際には言葉と権力の結びつきについて気づく人は少ないのではないか。筆者の仲人であり恩師である宮沢俊一は、ソ連崩壊後、ボリス・エリツィン大統領の時代になって、「新聞を読んでも意味がわからない」とこぼしていた。要するに、ソ連がなくなって、それまでのロシア語の言葉遣いが大幅に刷新され、ロシア語の新聞を読んでいても理解できない
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