[198]熊本県人吉市、赤木雅子さんインタビュー、アイフォン大捜索……
2020年08月06日
7月8日(水) 大雨の地域が長野や岐阜にも拡がり、大雨特別警報が出された。大雨の激甚化が、今や例外的ではない、通常の現象になったのだ。「図書新聞」のアンケート原稿と「クレスコ」用の原稿。
局に移動しようと電車に乗っていたら、その局から連絡が入り、熊本県の人吉市になるべく早く入って欲しいと言われる。ええっ? あした9日に熊本の芦北町に再度取材に入る方向で話が進んでいたはずが、どこでどうなったのか。今日中に入って欲しいと言われ、自宅に引き返す。それで羽田にすぐに向かえば、ギリギリ15時15分発の便に飛び乗れるか。とりあえず、4日間分の下着と着替えを小さめのスーツケースに詰め込んで、災害時用の靴に履き替え、空港へ。
17時に鹿児島空港着。熊本空港から人吉には道路では行き着けないのだ。Nディレクター、Nカメラマンらと空港で合流。もうすぐ暗くなるので、あすの取材のため人吉市内を下見する。市街地の被害は相当なもので、芦北町とは異なる市街型の災害の様相。
東京から突然、電話が入る。森友問題に絡んで公文書を改ざんさせられ自死に至った近畿財務局職員の赤木俊夫さんの妻・雅子さんの関連で、予想外の動きが発生したのだという。それは「news23」の小川彩佳キャスターのもとに、赤木雅子さんのインタビューをしないかというオファーが文春側から来て、番組として了承して動いている、というものだった。驚いた。先週、赤木さんあてに7月11日の特集放送をお知らせして、何らかのメッセージをお願いしていたところだったので。一体何があったのだろうか。
それで、【以下111字分の文章、現時点では公表を保留します(筆者)】なのかもしれないなあ、と想像した。これまでの赤木雅子さんとの関係を考えると、ちょっと予想外の動きだった。何があったのかの「23」との話し合いは、東京に任せることにする。
当面の問題は、今夜の宿泊施設がみつからないことなのだった。宮崎県の某市まで移動してようやく投宿することができた。この宿が何と言うか、僕は漫画家のつげ義春の大ファンなのだけれど、まさに「つげ義春の宿」なのだった。超リアリズムの宿。詳述は控える。
スタッフと共に近所の大衆食堂で夕食をとっていると土砂降りの雨になった。まいった。赤木さんのインタビューの件もあってこころのなかも雨模様だ。宿に戻ってすぐさま眠ろうとしたが、なかなか眠れない。隣の部屋の宿泊者のいびきがうるさくて、まいった。しみじみ。【以下85字分の文章、現時点では公表を保留します(筆者)】
チェックアウトして、人吉市に向けて移動。途中のコンビニでお腹の中にいれる食べ物・飲み物を買う。人吉市内に入る。上空を厚い雲が覆っている。市の中心部の被害を取材。店舗が浸水被害で住民らが泥のかき出しに追われている。
地域の拠点病院、球磨病院の浸水被害復旧作業も許可を得て内部を取材することができた。病院職員は必死の態勢。1階にあった患者さんのカルテが泥まみれになっていて、それを懸命に水で洗っていた。その水も当初は全くない状態で大変だったという。
僕らはDMAT(災害派遣医療チーム)の活動に同行して撮影していたのだが、それぞれの人々の動きの的確さに感心させられた。看護師さんたちとかすごい。もたもたしていない。必要最小限のコミュニケーションですばやく行動していた。病院職員も支援メンバーも本当のプロだ。
移動して、ボランティアの受け入れ場所を提供していた「ホテルサン人吉」を取材。このホテル自体も被災しながらの活動だ。泥まみれになっていた高齢者の住宅を、球磨工業高校の高校生ボランティアたちが数人がかりで、泥の撤去、運搬作業をしていた。話を聞くと、高校生たちが自発的にLINEなどでボランティア行きを呼びかけて、あとは口コミも含めて総勢22人でやって来たのだという。教師とおぼしき女性が2人いて一緒に泥出しをしていたが、高校生たちの安全管理のためにむしろ引っ張られてやってきたようだった。汗だくになってスコップで泥をかきだし、一輪車で黙々と運んでいる。何だか胸が一杯になってしまった。
その後、日本赤十字社熊本県支部の医師・看護師らによる避難所の衛生状態の調査活動に同行取材。人吉市立第一中学校の体育館に設けられた避難所へと向かう。体育館内の避難所には、ボール紙の柱で組み立てられたパーテーション(仕切り)が出来つつあって、布製のカーテンをかける作業が進行中だった。さらに段ボールベッドも続々と到着して組み立てられつつあった。
非常にシステマティックにものごとが進行している。ピースウィンズ・ジャパンとかAMDAといった支援NGO、NPOの人々が機敏に動きまわっていた。僕らは、とにかく、邪魔にならないように、密にならないように、入り口で手指消毒してマスクを着用、間隔に注意しながら取材をした。VEさんが音声を収録するために長いバーをかざす作業が必要なのだが、これがピリピリした状況下では、緊張を作り出すこともある。僕らはそのことに無自覚であってはならない。長いバーはそれだけで非日常なのだ。
断続的に雨がやってくる。大型避難所になっているスポーツパレスに移動して、屋外で医師のインタビューを撮る。取材を終えて、今日の宿舎となっている鹿児島県霧島市方面に移動中に、赤木雅子さんから電話が入った。同じTBSの取材を11日に受けることになったが、
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