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息子を失った芸術家と、嘆く母を忘れぬ首相 ドイツの戦争と国立追悼施設

【16】ナショナリズム ドイツとは何か/ベルリン⑦ 現代史凝縮の地

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

ドイツの国立追悼施設「ノイエ・ヴァッヘ」の「哀れみ」の像=2月、ベルリン。藤田撮影

【連載】ナショナリズム ドイツとは何か

 ベルリンにあるドイツの国立追悼施設、ノイエ・ヴァッヘ(新衛兵所)について、前回に続いて書く。

 観光客で賑わうウンター・デン・リンデン通りに面した神殿風の建物に入るとすぐ、中央にぽつんと、母親が子供を抱きかかえるブロンズ像がある。その前の床には「戦争と暴力支配の犠牲者のために」とだけ記されている。

 この像は、他国にあるような戦没者を弔う施設とは異質の空間を生み出し、通りすがりの観光客をも沈黙させていた。私もドイツのナショナリズムを考える旅で2月半ばに訪れた際には、この像にただただ見入り、国家のために国民が命を失う戦争とは何かを考えた。

 像の名は「哀れみ(死んだ息子を抱く母)」。オリジナルの作者はドイツの芸術家ケーテ・コルビッツ(1867~1945)だ。そして、彼女の作品を4倍にして母子の等身大に近づけ、1993年に国立の「中央慰霊館」となったノイエ・ヴァッヘに据える決断をしたのは、当時の首相ヘルムート・コール(1930~2017)だった。

二つの大戦とコルビッツ

 まずコルビッツの話をする。二度の大戦の間にドイツで活動を続け、暗い色調で庶民や家族の悲哀を多くの絵画や彫刻に表した。ケルンにあるケーテ・コルビッツ美術館のサイトで作品と生涯を概観できる。

 「哀れみ」の像には、戦争に翻弄され苦悩した彼女の姿がある。

 コルビッツの息子ピーターは1914年、18歳で第一次大戦に志願した。1871年、近代国家として統一されたドイツ帝国が立ち現れ、列強の一員にのし上がって初めての戦争だ。ナショナリズムが高揚し、コルビッツも戦争に協力する女性団体に参加していた。

 未成年のピーターは「祖国が僕を求めている」と両親に訴え、志願兵になることを許すよう繰り返し求めた。コルビッツも拒みきれず夫に認めるよう求め、ピーターは戦場へ。その年に戦死した。

 息子の死について、コルビッツの日記にはこうある。

1914年に第一次大戦に志願して亡くなったピーター(左)と、1915年の母ケーテ・コルビッツ(右)=ドイツ・ケルンのケーテ・コルビッツ美術館提供

 「その時が、私が墓へと歩む老いの始まりだった。ヘルニアで腰は低く曲がり、まっすぐ立てなくなるだろう」

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