藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
【28】ナショナリズム ドイツとは何か/ワイマール⑤ ホロコーストと市民
ナチスがドイツ中部に造ったブッヘンバルト強制収容所跡から、また路線バスに10数分揺られ、ワイマール市街に戻る。2月19日夕方に訪れた石畳の「劇場広場」に、この古都ゆかりの文豪ゲーテとシラーの像と、新古典主義風の劇場が建っていた。
像の前で見学の生徒たちが教師の話に聴き入る。劇場正面の石段で小学生ぐらいの女の子たちがペットボトルを蹴っ飛ばして遊ぶ。歴史豊かな地方都市といった風情だ。ドイツのナショナリズムを探る私の旅に欠かせない訪問先だった。
ふたりの文豪の像の台座には「祖国」と刻まれ、劇場の名も「ドイツ国民劇場」。ドイツ全体を背負うような気概がにじむ。1919年にこの劇場で国民議会が開かれ、ドイツ初の民主的な憲法であるワイマール憲法が採択された。
その憲法と民主主義をナチスが換骨奪胎し、独裁を実現した。この劇場もカギ十字の垂れ幕に覆われ、この古都は数キロ先のブッヘンバルト強制収容所と共存し、敗戦後もその歴史を背負う。つい先ほど強制収容所跡の史料館で見たばかりのいきさつだ。
劇場正面の白い石壁に近づくと、左右に一つずつ、金属板で文章がはめ込まれている。向かって左(写真上)には「この建物でドイツ国民はワイマール憲法を採択した。1919年」、右(写真下)には「ファシズムによって破壊され、多くの犠牲者を出しながら建て直され、ドイツ国民に引き渡された。真の人間存在の道へ。1948年」とあった。
この二つの年の間に、一体何が起きたのか。
広場の方へ向き直ると、文豪たちの像の向こうに真新しい小ぶりな建物があった。「ワイマール共和国の家」とある。扉を押して入り、受付の女性に聞くと、憲法採択百周年の昨年に政府の支援も受けてできた史料館で、市民団体が運営しているという。
館内での短い映画と展示は、「ワイマール共和国 ドイツ初の民主主義」から「民主主義の終わり」へと転落する20世紀前半のドイツ史を語り、「たとえ素晴らしい憲法があっても、あらゆる民主主義社会は脆弱だ」という教訓を今にどう生かすかを考察していた。
その問いかけを展示に沿って、日独の二人の歴史学者の知見も交えつつ紹介したい。
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