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何があっても変わらない「野球が好き」というシンプルな気持ち

野球人、アフリカをゆく(31・最終回)コロナで世界が変わっても野球人の思いは続く

友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

4月終わりから爆発的に感染が拡大

 新型コロナ感染症の猛威はますます世界中に拡散し、アフリカにも遅れて大波がやってきた。4月に入って初めて感染者がでた南スーダンは、しばらく小康状態が続いたものの、4月の終わりになって爆発的に感染が広がった。

 南スーダン政府は感染拡大に伴い、国境封鎖や空港閉鎖、学校の休校や公務員のリモートワーク推進、5人以上の集会は禁止、など、次々に規制強化を打ち出していた。

 アフリカの中でも、南スーダンは新型コロナ感染症に対するリスクがもっとも高い国と言われ、JICA関係者は全員国外退避することになったが、国際線の商用便はすべからく停止され、不定期な臨時便に頼らざるを得ないため、なかなか退避が進まない。

 JICA関係者といっても、ナイル川に架ける橋の建設や、水供給施設などのインフラ工事に携わる人も含めると、約300人にもなる。日本人だけでなく、エジプト人、フィリピン人、スリランカ人などの「外国人」もいるため、それぞれの母国まで到達するフライトの確保が難しく、かなりの時間を要するのだ。

 本来なら、4月の上旬に任期を終えて本帰国するはずだった私だが、このような状況のなかでは、退避するのは事務所の所長である自分が一番最後になる。

 3月の中旬から関係者の退避を順次開始したが、全関係者の退避のめどがついたのは5月28日だった。

 ようやく私自身の本帰国だ。この2カ月強は、関係者の退避と事務所の感染回避の対策に追われる日々だった。特に感染回避は重要なミッションだった。もし感染し、肺炎が重症化したら、人工呼吸器や集中治療室などがほとんど機能していない南スーダンで命の保証はない。

 しかし、この未知なるウィルスへの危機感の啓発が市民の間では十分ではなく、連日35度を超える常夏のこの国では、マスクを着用している人は市中で少しずつ増えてきているものの、あまり見られない。新型コロナ感染症は蔓延(まんえん)しているとみるのが自然だろう。

本帰国直前、最後のミーティング

拡大筆者の自宅に管理していた野球道具をすべて南スーダン野球・ソフトボール連盟に移管するため、まずは道具の数を確認。これらはすべて日本で集めてもってきたもの。ピーターが数を数えている。

 そんななか、気になったのは野球団の選手たちのことだった。南スーダンに着任して以来、一時帰国をしている時以外は、ほぼ毎週彼らとグラウンドで汗を流してきた。ジュバにいるのに、2カ月以上も会わないでいるなんて初めてだ。もともと4月に帰国することを伝えていたが、選手たちからたまにSNSで「もう日本に帰国したんですか?」というメッセージが入るたびに、「飛行機がないからいつ出国するかわからない」と返信してきた。

 いよいよ別れの時が来るのだが、人が集まるようなイベントの開催は禁止されているので、練習はもう無理だ。選手たちに別れを言うチャンスはない。

拡大ピーターとウイリアムが野球道具を箱詰めして運搬した。
 ピーターとウィリアムとは、南スーダン野球連盟のオフィス兼倉庫になるスペースを確保し、私が集めて保管していた野球道具を移管したり、今後の計画の打ち合わせをしたりなどで時々会う機会があったが、帰国前には、あらためて会って別れと感謝を告げたい。

 また、最初の頃からずっと参加してきたキャプテンのジオンなどの古株数人の選手たちにも、最後に伝えたいことがある。そこで、ピーターに電話をかけ、相談をもちかけた。

 「来週には日本に向けて出発するので、最後に会えないかな」

 「ついに帰国するんですね。2日後の5月30日の土曜日9時はどうでしょうか」

 「土曜日ならこちらも大丈夫だ。ありがとう。それと、ピーターとウィリアムの他に、ジオンや、デイビッドなど、リーダーシップをとってくれたメンバー数人にも声をかけてほしいんだ。これまで1年9カ月かけて教えてきたことをレビューするミーティングをしたい。技術的なことも含めるので、運動のできる格好で、中心メンバー数人を集めてほしい」

 「わかりました。ただ、いつものジュバ大学は閉鎖されてますので、ジュバ教区セカンダリースクールのグルのグラウンドにしましょう」

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筆者

友成晋也

友成晋也(ともなり・しんや) 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

中学、高校、大学と野球一筋。慶應義塾大学卒業後、リクルートコスモス社勤務を経てJICA(独立行政法人国際協力機構)に転職。1996年からのJICAガーナ事務所在勤時代に、仕事の傍らガーナ野球代表チーム監督に就任し、オリンピックを目指す。帰国後、2003年にNPO法人アフリカ野球友の会を立ち上げ、以来17年にわたり野球を通じた国際交流、協力をアフリカ8カ国で展開。2014年には、タンザニアで二度目の代表監督に就任。2018年からJICA南スーダン事務所に勤務の傍ら、青少年野球チームを立ち上げ、指導を行っている。著書に『アフリカと白球』(文芸社)。

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