藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)
東アジアが緊迫すると語られる日米核共有はありうるのか
全16ページの終盤にある核共有に関する部分から、まず紹介する。日本の核武装を防ぐための7項目で最後の提言だ。
7. 米政府がすべき関連研究
(a) 日本が独自の核戦力を築く代わりに米国が引き受けて構わない、米国の核兵器を日本と合同で統制し使用することの調整。可能性のある実例としては、
(1)米国の核を日本に配備し、米軍と自衛隊が合同か単独で、日米合意の条件で使用
(2)自衛隊が米国の核や運搬手段を使い、日本への攻撃を防ぐ訓練(例えば、自衛隊の航空部隊が米空母を拠点に行う。核を日本に持ち込まずに、自衛隊が核兵器と通常兵器のどちらにも使える兵器体系に加われる)
(1)は明確な核共有だ。米国の核を日本に持ち込むという狭い意味でなく、日本防衛のための日米合同運用にまで踏み込んでいる。(2)はそのために自衛隊の練度をどう上げるかについてで、被爆国として日本国民の反核感情が強いことをふまえ、訓練を「核を日本に持ち込まずに」どう実施するかの具体例を示している。
日本は佐藤栄作政権がこの2年半後の1967年12月に「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を打ち出し、70年には核不拡散条約(NPT)に署名。さらに72年に田中角栄政権が中国と国交を正常化し、この提言は結局現実とかけ離れたものになった。米政府から日本政府に打診されたかどうかも定かでない。
ただ、この文書がまとまる前年の1964年には、10月の東京五輪の最中に中国が核実験に成功。危ぶむ佐藤首相は65年1月の日米首脳会談で日本核武装の可能性を示唆し、ジョンソン大統領は「核の傘」で日本を守ると約束した。60年の安保条約改正で深まった日米同盟は試練を迎えていた。
大統領による「核の傘」の約束から5カ月経って、米政府内でなおも日本の核武装を防ごうと核共有の研究にまで踏み込むこの提言がされたところに、ジョンソン政権の警戒感がにじむ。
以下、当時の状況を振り返りながら、この文書全体を概観したい。
添付の表紙にこの文書の作成者として記された「核不拡散委員会」は、前述のようにジョンソン政権の肝いりだ。同政権は、中国の核実験がインドや日本、西ドイツなどに連鎖し、核戦争の可能性が高まることを警戒し、核不拡散を重視。省庁横断のこの委員会がラスク国務長官の下にできた。その委員会が日本について提言をまとめたのが、この文書ということになる。
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