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沖縄の盟友・大盛伸二さんに先に逝かれる

[200]那覇、キャンプ・ハンセン、津久井やまゆり園……

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

7月22日(水) 那覇市内のホテルで早く目が覚める。地元紙をみたら沖縄タイムスが国際通りの40店舗が閉店・廃業をしたとの一面トップ記事。さらに那覇空港で唾液による抗原検査を実施する方向と報じている。きのうの玉城デニー知事の会見を受けての記事だ。

 午前中、金武町のキャンプ・ハンセンへと向かう。同基地では、きのうまでに51人も新型コロナウイルス感染陽性者が出ている。

 10時30分すぎから同基地周辺で取材を始める。焼けるような強い日差しだ。すると、キャンプ・ハンセンと周辺の街の上空を2機のオスプレイがやって来た。何度も何度も上空を行きかっている。すごい低空飛行で、まるで取材している僕らのクルーが「仮想敵」にされているみたいな感じがするくらい真上を通っていく。金網フェンス越しにみるキャンプ・ハンセン内は、兵士たちも大半がマスクをしているが、そうではない兵士もいる。近所の住民の声を聞くと、さすがに不安だと言う。住民インタビューなどいろいろと取材。KディレクターやFカメラマンも汗だくになって取材を続けている。

 その後、那覇市の県庁へ。玉城デニー知事にインタビュー。このタイミング。知事はかなり危機感に見舞われていた。時間も15分しかとれない。ギリギリまで話を聴いた。

 その後、国際通りの取材を追加。今夜は地元の記者たちと会って実際にどうなのかを訊いてみたい。Oさんは自宅療養中で、あしたお見舞いに行くことにしよう。Kさんは勤務先のQAB(琉球朝日放送)の全スタッフがPCR検査を受けていて、その結果が出るのが今夜なので無理だと。そりゃそうだ。QABは局内が大変なことになっているそうだ。Yさん、Tさんもそれぞれ、今日は大変そうだ。

 あとはHさんだ。最近は沖縄よりも福島にいることが多いようだが、何と今日は那覇にいた! それで会うことにする。県庁近くの菓子店に向かい、去年の暮れに急死したI君の好物の品を買う。そこでばったりQABのNさんに出くわした。そう言えば那覇の酒場でI君とNさんもご一緒した記憶があった。I君が天国から引き合わせてくれたか。QAB局内はいま大変だと。ホテル近くでスタッフと夕食。

 Hさんによれば、Oさんの容態はかなり悪く、意識がない状態だという。とにかく明日の午前中に県立中部病院に見舞いに行くことにして別れた。午前0時10分に、そのHさん=原義和さんから電話が入った。「大盛さんが先ほど亡くなられたそうです」。視界が暗転した。

 これまでOさんと書いてきたのは元RBC(琉球放送)の大盛伸二さんだ。1987年以来、付きあい続けてきた沖縄のかけがえのない盟友だ。まいった。実はその前に一瞬目が覚めた時があった。虫の知らせというやつだろうか。そういう経験が過去にもあった。まだ64歳だ。去年、食道がんがみつかって入院闘病生活を送っていた。

 どこかの時点で亡くなった大盛さんのお顔を見にいかねば。奥様にも声をかけなければ。だが原さんによれば、今は亡くなったばかりで、病院から遺体の安置先までの搬出などで混乱しているだろうとのこと。まいった。こんな大事な時に携帯電話を忘れてきた自分は大バカ者だ。悔やんでも悔やみきれない。沖縄での連絡先が手探り状態。何とか知り合い何人かと連絡をとり合う。

2019年4月、入院先の沖縄中部病院に盟友・大盛伸二さん(左)を見舞う=筆者提供拡大2019年4月、入院先の沖縄県立中部病院に盟友・大盛伸二さん(左)を見舞う=筆者提供

筆者

金平茂紀

金平茂紀(かねひら・しげのり) TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

TBS報道局記者・キャスター・ディレクター。1953年、北海道生まれ。東京大学文学部卒。1977年、TBSに入社、報道局社会部記者を経て、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長、コロンビア大学客員研究員などを経て、2010年より「報道特集」キャスター。2004年、ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『沖縄ワジワジー通信』(七つ森書館)、『抗うニュースキャスター』(かもがわ出版)、『漂流キャスター日誌』(七つ森書館)、『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』(講談社)など多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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