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なぜ君は合流新党に参加できないのか

立憲民主と国民民主の合流には大義がある。玉木代表は参加すべきだ

階猛 衆議院議員

ギリギリの交渉の末の「合流新党」

 お盆前の8月11日、立憲民主党と国民民主党がそれぞれ解散し、両党の所属議員や無所属の議員が合流して新たな党が立ち上がることが事実上決まった。

 これに先立ち、両党の幹事長、政調会長らの真摯かつ精力的な協議により、新党の綱領と規約の案、代表や党名の決定方法について合意に達していた。このうち党名に関する協議は最も難航したが、その合意が成立したことで「合流新党」結成の流れが固まった。

 改めて、党名をめぐる協議が決着するまでの経緯を振り返ってみたい。

党首会談後、取材に応じる立憲民主党の枝野幸男代表(右)と国民民主党の玉木雄一郎代表=2020年1月10日、国会内

 7月15日、立憲民主党が行った新党の結成に関する提案では、「新党名は、立憲民主党・略称通称:民主党とする」とされていた。

 同月22日、上記提案に対し、国民民主党から「新しい政党がスタートするにあたって、より幅広い結集を図ることになるものと考え、党名についても民主的な手続きをもって選定すべき」という回答がなされた。

 その直後から、「民主的な手続きとは投票にほかならない」とする玉木代表と、「両幹事長の交渉に委ねるべきだ」とする枝野代表との間で距離が生じ、合流交渉は決裂ないし長引くとの観測が次第に強まってきた。

玉木代表が求めた「投票による党名決定」

 7月31日、事態の打開に向け、玄葉光一郎代議士と私は、野田前総理ら無所属の有志議員7名による「立憲・国民の合流交渉に関する緊急要請」と題する文書を携え、立憲民主党の福山幹事長と面談した(国民民主党の平野幹事長にも面談を試みたが、先方都合により書面提出のみ)。

 両党への書面での要請事項は、①8月7日を目途に、合流に関する基本合意を行う、②合意後は速やかに結党大会を行う、の2点だが、話題の中心は、党名の決定方法だった。

 それまでの交渉で、立憲民主党は、両党解散による新党設立、選挙による新党代表の選出、両党協議による綱領作成など、国民民主党の立場に配慮した提案を行ってきた。私たちは、立憲民主党の対応に敬意を表しつつ、「党名の決定方法をめぐって交渉が長引けば、国民の失望を招きかねない。一刻も早く合流問題に決着をつける必要がある」という危機感を福山氏に伝えた。

 その上で、玉木氏の主張する「投票による党名決定」で折り合う余地はないのか打診した。福山氏は消極的な反応だったが、その主な理由は、仮に立憲民主党がさらに譲歩して「投票による党名決定」を飲んだとしても、玉木氏が政策面や手続面で合流に関する新たなハードルを設けるなどして、譲歩が無意味になるリスクがあるということだった。

 実際、玉木氏は、憲法改正や消費減税に関するスタンスの合致や、党首会談の実施を合流の前提条件のように語っていた。私は、玉木氏に近い国民民主党の幹部に、玉木氏の真意を尋ねてみた。「党名を投票で決めることが唯一絶対の条件で、これさえ立憲民主党が飲んでくれれば玉木代表は合流に合意する」というのが、彼の見立てだった。

 そうであれば、合流の可能性は十分にある。私は、上述の要請文書にも名を連ねた重徳和彦代議士ら中堅・若手議員17名と相談し、8月7日になっても交渉が進展しなければ、党名決定に関することを含め、合流実現のための行動を取ることを計画していた。

 幸いなことに、8月7日の午後になって両党の幹事長会談が行われ、立憲民主党が国民民主党の主張を取り入れた。合流新党の党名は党代表と共に投票で決定することとなった。

会談を終え、取材に応じる立憲民主党の福山哲郎幹事長(左)と国民民主党の平野博文幹事長(右)=20207月29日、国会内

玉木代表は合流新党に参加すべきだ

 最大の懸案事項だった党名決定方法が決まったことにより、国民民主党は解散して合流新党を結成する運びとなった。

 ただし、国民民主党は一丸となって合流新党に参加するという大方の期待に反し、8月11日の役員会で意見が割れ、代表の玉木氏ら複数の議員が参加せず、新たな党で活動する意向だと報じられている。

 役員会直後の記者会見で、玉木氏は合流新党に参加しない理由として、「理念や政策が異なる人が集まって無理やりに党を作っても過去の反省は生かせない」ことを挙げた。

国民民主党の分党を発表する国民民主党の玉木雄一郎代表=2020年8月11日、党本部

 この発言を知り、私は二重の意味で驚いた。

 一つは、昨年5月に私が自由党との合流に反対して国民民主党を離党した理由とほぼ同じだったこと(論座『なぜ私は、国民民主党を離党したのか』参照)。この点、確かに私も玉木氏と同様の見解を持っているが、今回の合流新党に当てはまるとは思っていない。その理由について次項で詳しく述べる。

 もう一つ驚いたのは、あの当時、「自由党との合流に大義が見えない」とする私に対し、玉木氏は「大きな固まりを作る第一歩だ」と繰り返し述べて合流に踏み切った。だが、今回は「大きな固まり」を作る最大のチャンスを否定した。大いなる矛盾を感じる。

 もっとも、当時の玉木氏の発言に、嘘偽りはなかったように思う。そうでなければ、昨秋に立憲民主党をはじめ野党系会派と国会で共同会派を組むことはなかった。また、昨年暮れ以降、長きにわたって平野幹事長に合流の交渉を任せることもなかったであろう。

 一方で、玉木氏は、前回の総選挙直後から希望の党、国民民主党で通算3年近く党首として経験を積み、統率力、発信力、提案力などで手応えを感じつつあったのではないか。合流新党ができて党首の座を失うより、今の立場を守りたいと考えるのは政治家としてある意味で自然なことだ。「大きな固まり」に慎重な姿勢に転じたとしても、致し方ない面がある。

 ただ、だからと言って、合流新党に背を向け、「小さな固まり」のリーダーにこだわる必然性はまったくない。仮に今回、玉木氏が党首の地位を失ったとしても、将来国政の中心を担いうる政治家であることに変わりはないからだ。

 昨年5月、私や党内外に向けて熱く語った「大きな固まりを作る第一歩だ」という言葉を今一度思い出して欲しい。そして、堂々と合流新党に参加し、その類まれなる能力を存分に発揮してもらいたい。

合流新党に大義はあるのか

 政党の合流や新党結成には、「大義」が必要だ。政党の大義とは、そこに集う者が国家国民のために何を目指し、何を行うかということだ。政党が目指すものを「理念」、政党が行おうとすることを「政策」と言い換えることもできる。

 政党が合流する際、国家国民のためではなく自分たちの利益を図り、理念や政策の共有をおざなりにするならば、そこに「大義」はなく、「数合わせ」「野合」などと酷評される。前回の解散総選挙の際、前原代表率いる民進党が小池都知事率いる希望の党と合流し、有権者から厳しい審判が下ったケースなどは、その典型例だ。

 当時、前原代表の下で私は政調会長を務めていたが、前原代表に私利私欲はなく、国家国民のために政権交代を果たそうという強い信念が感じられた。ただ、あまりにも短期間での合流だったために、理念や政策の共通性よりも異質性が目立ってしまい、それが同志の分裂と有権者の反発につながってしまった。

2017年9月に発足した前原誠司代表(中央)ら民進党の新執行部。右から2番目が階猛政調会長=2017年9月5日、東京・永田町

 そうしたことを念頭に置きつつ、玉木氏は「理念や政策が異なる人が集まって無理やりに党を作っても過去の反省は生かせない」と語ったのだろう。

 しかし、その時とは事情が異なる。今回の合流新党に参加する立憲民主党、国民民主党および無所属の議員の大半は3年前まで民進党に所属していた。加えて、今日までほぼ1年にわたって共同会派として活動し、法案作りや政策・予算の提案などで協力してきた。

 私も共同会派の一員だが政党には所属していない。国会では法務・財務金融・震災復興の各委員会に所属し、国会外では新型コロナ対策の会議などに参加している。どの会議体でも、党派の垣根を意識することなく各議員が自由闊達な議論を重ね、最後は共同会派としての結論を出してきた。理念や政策の面で、共同会派内で大きな違いを感じることはなかった。

 玉木氏がこだわる憲法改正や消費減税のうち憲法改正については、合流新党の綱領案では「立憲主義を深化させる観点から未来志向の憲法議論を真摯に行います」とあり、真に必要があれば憲法改正も視野に入る内容となっている。

 一方、消費減税については綱領案に記載がないが、そもそも税制のあり方全般についても綱領案は言及していない。合流新党が発足した後、コロナ禍を克服するための緊急経済対策の一環として議論されるべきテーマだと考える。

 綱領案の冒頭では、「立憲主義と熟議を重んずる民主政治を守り育て、人間の命とくらしを守る、国民が主役の政党」が合流新党の基本理念として謳われている。

 合流新党が目指すのは、①権力の恣意的かつ拙速な行使を戒め、法の支配と多様な意見を尊重すること、②自己責任でリスクを個人に負わせるのではなく、命とくらしを守るために国や社会が積極的な役割を果たすこと、③上から目線の国家中心の政治ではなく、地域や現場の目線を大切にする国民中心の政治を実行すること、だと私は受け止めている。

 要は、現政権への不信、不満の原因を取り除き、その解決策を実行することこそ、合流新党が目指すものだ。その実現のために、仲間を増やし次期総選挙での政権交代を目指さなくてはならない。

 合流新党の理念や政策は確固たるものがあり、合流新党の結成には十分な大義がある。合流新党の綱領案を読んで、改めてそう感じた。

私が合流新党に参加する理由

 私は、合流新党に参加するつもりだ。上述のとおり、合流新党には大義があるからだ。

 一方、今回の合流新党には、過去に自由党を率いていた小沢一郎代議士も参加すると見られている。小沢氏は私を政界に導いた恩師だが、私が昨年5月に国民民主党を離党した際や、それ以前にも何度か、小沢氏と相容れない局面があった。

 これから同じ党で活動することについて、わだかまりがないと言えば嘘になる。ただ、それ以上に重要なことは、立憲民主党と国民民主党、そして私を含めて旧民進党に所属していた旧知の仲間がもう一度結集して「大きな固まり」となり、政権交代可能な政治体制を作り上げることだ。

 3年前の民進党と希望の党との合流時には、衆議院側が先行して全員合流し、総選挙終了後に参議院側も合流して「大きな固まり」となるはずだった。しかし、その目論見はもろくも崩れ、旧民進党はバラバラになってしまった。

 今も多くの国民は、「政府与党の迷走するコロナ対策や相次ぐ不祥事には不満だが、バラバラの野党に政権を託すのは不安だ」と思っているのではないだろうか。野党が「大きな固まり」となって安定感と信頼感につながる活動をし、国民が野党に対して不安感ではなく、政治を変えてくれるという期待感を抱いてもらえるようにしなくてはならない。

 振り返ってみると、私が国民民主党を離党したきっかけ、そしてその後の活動も、すべては「大きな固まり」を意識してのことだった。

 昨年5月に私が国民民主党を離党した大きな理由として、当時の自由党と合併すれば、参議院で国民民主党と立憲民主党の議席数が拮抗することなどにより、立憲民主党との亀裂が深まることへの危惧があった。

 目先の党勢拡大にこだわって本来目指すべき「大きな固まり」から遠ざかってしまう、いわば「ジリ貧を避けてドカ貧に陥る」愚を犯してはならないと思っていた。案の定、その後に行われた参議院選挙では、同じ選挙区で国民民主党と立憲民主党の候補が潰しあうなど、支援者を失望させる結果になってしまった。

 他方、私自身は無所属の一議員として、同じく無所属で両党の橋渡しを担う議員らや、それぞれの党に所属しつつも志を同じくする中堅若手議員らと連携し、「大きな固まり」を作ることを目指してきた。国民民主党と立憲民主党の関係がぎくしゃくする間は、合流新党ではなく、立憲民主党を主軸とした複数の党で連立政権を目指すというやり方で「大きな固まり」を作ることも考えていた。

 地元でも当時の国民民主党岩手県連の総意で「新時代いわて」という政治塾を立ち上げた。自由党との合流をきっかけに地方議員がバラバラになった後も、仲間の選挙運動を支援し、地域政策の提言に共に取り組むことで「大きな固まり」の基盤を県内で維持してきた。

無所属で活動していた地方議員と共に記者会見に臨み、全員で合流新党に参加する旨を表明した=2020年8月12日、盛岡市内

 今、ようやく野党第一党の立憲民主党と第二党の国民民主党が歩み寄り、無所属議員も含めた形で新党という「大きな固まり」ができつつあることを、心から喜んでいる。そして、これからが本当のスタートだ。合流新党の政権獲得と大義の実現に向け、私も精一杯汗をかきたい。