山口 昌子(やまぐち しょうこ) 在仏ジャーナリスト
元新聞社パリ支局長。1994年度のボーン上田記念国際記者賞受賞。著書に『大統領府から読むフランス300年史』『パリの福澤諭吉』『ココ・シャネルの真実』『ドゴールのいるフランス』『フランス人の不思議な頭の中』『原発大国フランスからの警告』『フランス流テロとの戦い方』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
いち早くベイルート入り。国連とオンラインの国際支援会議も開催。その狙いは。
レバノンの首都ベイルートでの大爆発直後、マクロン仏大統領が現地に駆けつけて国際支援を要請したことに関し、「内政干渉」か「国際的連帯」かの論議が盛んだ。フランス政府と国連の共催で開かれたオンラインの国際支援会議では約310億円の拠出金が集まったが、レバノンがフランスの委任統治下(1943年独立)だったことから、フランスの内外で「レバノンはフランス領ではない」「フランスの自己満足」「余計なおせっかい」といった反発も聞かれる。
マクロン大統領は8月4日の大爆発直後の5日夕、ルドリアン外相を伴ってベイルートに到着。6日はアウン大統領とのトップ会談のほか、現場の港湾と付近の被災地を長時間訪問し、同夜に開催した記者会見で国際支援会議開催を訴えた。大爆発後の外国の国家元首のレバノン訪問は初めてだった。
2750トンの硝酸アンモニウムの爆発で瓦礫(がれき)と化した現場のベイルート郊外の港や付近一帯の被災地ではまだ煙が立ちのぼり、救援隊が作業をするなか、市民や記者団に囲まれたマクロンは途中からワイシャツ姿になり、最後はマスクも外して市民と対話。泣きながら惨状を訴える女性を抱きしめて、慰めもした。
訪問の理由をたずねる記者団には、「なぜ来たのか、レバノンだからだ。フランスだからだ」と述べ、フランスとレバノンの歴史的関係の深さを強調した。