反対を恐れて嘘をつき、同意をとりつけて既成事実化するやり方が安保に与えた影響とは
2020年08月28日
2020年6月15日、河野太郎防衛大臣は、新型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の配備計画停止を表明した。
イージス・アショアは、山口県と秋田県の自衛隊演習場が配備候補地とされていた。ところが、秋田では、防衛省の調査のずさんさが地元紙「秋田魁新報」の報道で明らかになり、山口では、防衛省が約束した、ミサイル発射時に切り離すブースターの演習場内落下が現状の性能では不可能であることが判明した。配備計画の停止は、その結果だとされる。
イージス・アショアの配備撤回は、政府の安全保障政策に対する国民の信頼を失わせるものとして、大きく報道されたが、政府が最初から故意に嘘(うそ)をついたとはいいがたいという点で、まだましな事例である。
実際には、もっとひどいものが幾つもある。これまでの安全保障政策の中には、故意に嘘をついて進めてきたものが少なくないからだ。そのなかには、後述するように、現在進行形の計画もある。本稿では、政府が噓を重ねながら進めてきた安保政策について、あらためて見ていきたい。
NHKのETV特集「ペリーの告白」(2017年11月18日放送)で、ウィリアム・ペリー元国防長官はある重大な告白をしている。
ペリーは、1996年の米海兵隊普天間飛行場(沖縄県)の返還合意を主導した人物だ。告白によると、実は普天間飛行場の返還条件として建設される代替施設は、「ヘリコプターとMV-22(オスプレイ)の基地」となることが最初から決まっていた、という。しかし、当時の日米両政府はそのことを隠す。
ペリーは、日米両政府のこの判断は間違っていたと、率直な後悔の弁を吐露している。「遅かれ早かれ、オスプレイは人々の知るところとなります。それを知った人は、客観的な議論だけでなく、こうも言うでしょう。『あなたたちは我々をだまそうとした。本当のことを言っていない』と」
ペリーは正しい。返還合意から16年後の2012年8月末、森本敏防衛大臣と面会した市民団体が、当時の日米協議に関する米政府の公文書を突きつける。1996年11月27日付で、在日米軍司令部が太平洋軍総司令部などに送ったその文書には、「防衛庁のタカミザワ氏から」渡された、「(普天間代替施設への)オスプレイ配備について沖縄防衛施設局から沖縄県および地元住民に説明するためのQ&A」が記載されていた。
森本と市民団体の面会直前、モロッコでオスプレイが事故を起こした。面会の約ひと月後の10月1日には、普天間飛行場にオスプレイを12機配備することが決まっていた。沖縄県や普天間飛行場のある宜野湾市が、「事故機」オスプレイの配備に反対している最中、最悪のタイミングで真実が露呈したのである。
ところが、面会に立ち会った防衛省は、文書は「米国が作ったもの」だから関与していないと回答。普天間飛行場へのオスプレイ配備を日本政府が知ったのは、前年の2011年6月だと答える。嘘に嘘を重ねたのである。
その結果、何が起きたか。
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