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非常時、首相に問われる「国家理念」 元自衛隊特殊部隊員の作家と考える

【番外】ナショナリズム 日本とは何か/話題の小説「邦人奪還」の著者・伊藤祐靖氏

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

「邦人奪還」(新潮社)の著者で元自衛隊特殊部隊員の伊藤祐靖氏=8月下旬、東京都新宿区、藤田撮影

 日本とは何かを問う小説に、この夏出会った。自衛隊の特殊部隊による北朝鮮からの拉致被害者救出を描いた「邦人奪還」(新潮社)。元自衛官の著者による描写の生々しさもさることながら、私が注目したのは、この作戦は何のためなのかという「国家理念」をめぐる登場人物らの葛藤だ。

 昨年の連載「ナショナリズム 日本とは何か」の番外編として、著者へのインタビューを通して考えたい。(朝日新聞編集委員・藤田直央)

著者は海自特警隊を育成

 この小説で極秘作戦を担う特殊部隊は、海上自衛隊に実在する特別警備隊(特警隊)。実際の活動も機密扱いだ。著者の伊藤祐靖氏は1964年、東京都の生まれで、この特警隊と縁が深い。

 1999年、北朝鮮の工作船とみられる不審船が能登半島沖で発見され、日本政府初の海上警備行動により自衛隊が追跡。伊藤氏は海自護衛艦「みょうこう」の航海長として対処したが、不審船は結局逃走した。

 この教訓から、敵の工作員がいるかもしれない不審船に乗り込み武装解除をする特警隊が2001年に発足。伊藤氏は現場でその創設と育成を担い、07年に依願退職した。その後は警備会社のアドバイザーなどを務め、自衛隊に関する著作も複数ある。

(左)海上自衛隊の特殊部隊「特別警備隊」にいた頃の伊藤祐靖さん=本人提供。(右)報道公開された特別警備隊の訓練=2007年、広島・宮島沖。朝日新聞社

 8月下旬に東京都内でインタビューした際、なお精悍な風貌の伊藤氏は「『藤井』が私のドキュメント・ノベルです」と笑った。「藤井」とは「邦人奪還」の主人公、特警隊第三小隊長の藤井3等海佐だ。

 この小説での「国家理念」をめぐる葛藤は、ナショナリズムについての私の問題意識と重なった。近代国家で生まれた「国民」というまとまりの目的は自明ではない。その目的を探る営みをナショナリズムと私は捉え、近現代について考えている。

 伊藤氏への質問を、私は「国家理念」に集中させた。

特殊部隊員が首相に問う

伊藤祐靖氏の新著「邦人奪還」(新潮社)
 小説で印象深いのは、この作戦の「なぜ」について、首相官邸での会議で藤井3佐らが葛田首相に問う場面だ。助け出す拉致被害者の人数を超える自衛官の犠牲者が生じうる。それを「なぜ」行うのか。

 葛田首相は手代木官房長官に促され、「共通の国家理念を追い求める同志、同胞たる自国民を見殺しにはしない。なぜなら、それが国家理念だからだ」と答えた。

 ただ、これは答えになっていない。「自国民を見殺しにはしない」のは「なぜ」かにあたる「共通の国家理念」、それは「自国民を見殺しにはしない」ことだというトートロジー(同語反復)に陥っている。

 私が伊藤氏に「もやもやします」と問うと、「ありがとうございます。それは私の『地雷』なんです。もやもやしてほしかった」と感謝された。戸惑う私に、伊藤氏は続けた。

 「ここで言いたかったのは、国家、国民とは何だということです。ある国境線の内側でたまたま生まれた人たちということだけなのか。同じ志を持つ間だからこそ、何の落ち度もなく自由を奪われた人たちを損得勘定で放置するわけにはいかない。それがこの作戦の『なぜ』にあたる国家理念ではないのか。そう問いかける『地雷』です」

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