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香港国家安全維持法は何を壊したのか

「三権一体」の北京の論理、一党支配が自治と自由を飲み込む

村上太輝夫 朝日新聞オピニオン編集部 解説面編集長

すれ違う「一国二制度」の解釈

香港国家安全維持法に反対するデモを7月1日に強行すると宣言した民主派団体のメンバーら=2020年6月30日
 香港国家安全維持法が2020年6月末に成立した。

 香港の立法会を迂回し、中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会による制定という手続きを経たこと自体がまず問題だが、この法律の内容もまた、香港の自治を破壊し、市民的自由(言論、集会の自由など)を侵害するものだ。国家安全の名のもとに、具体的被疑事実を明確にしないまま、リンゴ日報創業者の黎智英(ジミー・ライ)氏や民主活動家らの身柄拘束がすでに相次いでいる。

 日米欧メディア、また主要国の政治家、識者はこれを「一国二制度が破壊される」と批判する。これに対し、香港地区において国家安全にかかわる憂いをなくし、一国二制度を万全なものにする、というのが中国の立場だ。議論はすれ違いを起こしている。

 そもそも一国二制度とはどういう意味か、から考えてみたい。

 香港基本法の第5条は、こう明記する。

 香港特別行政区は社会主義の制度及び政策を実施せず、従来の資本主義制度および生活様式を保持し、50年間変更しない。

 つまり二制度とは「社会主義」と「資本主義」である。

 香港基本法は1980年代に起草作業を進め、返還に先立って1990年に制定された。当時、中国は社会主義国と称して違和感はなかったが、今の中国はほぼ資本主義と見なしうる。だとすれば「二制度」と称することはもはや無意味ということになりかねない。

 ところが中国共産党の自己規定では、今も中国は社会主義を実行している。社会主義とは、公有制を中核とする経済の仕組みだけではない。その上部構造たる政治の仕組みが共産党の指導する人民民主独裁であることを含んでいる。

 それは人民の名の下に共産党が支配する権力集中型の体制を意味する。最高機関たる全人代が行政、司法を監督する。さらにこれら各機関の上に、指導的立場を有する共産党がある。これはスターリン時代のソ連憲法を引き写した体制である。

 そんな体制の領域外に香港を50年間置いておくのが基本法の約束だ、と解釈することができる。

「東方のベルリン」と呼ばれた冷戦期を連想

覆面禁止法に反対し繁華街を練り歩くデモ隊=2019年10月4日、香港

覆面禁止法の施行を発表する香港の林鄭月娥・行政長官=2019年10月4日
 香港は、中国の一地区でありながら、権力集中ではなく権力分立型の基本制度を持つ。

 特筆すべきは司法の独立性の強さである。昨年の逃亡犯条例改正をめぐる抗議活動では、香港の行政側の方針でデモ参加者のマスク着用を禁じた「覆面禁止法」が施行されると、香港高等法院が香港基本法に反するという判断を下した。こうした事態は中国では起こりえない。

 最重要ポストである行政長官は、間接制限選挙で中国共産党政権の意向を反映しながら代々選ばれており、このことと、議会にあたる立法会で過半を占める親中派議員を通じて、北京の指導が及んでいた。ただ立法会は、異議を唱える野党議員を少なからず抱え、現在は70議席中、24を占める。この勢力図次第では、立法会が行政を牽制することが可能となる。

 憲法学者の長谷部恭男氏が指摘するように(「憲法とは何か」)、今の東アジアには、権力分立などを柱とする立憲主義に基づく憲法を持つ日本のような国々と、そうでない中国のような国々とが並立している。香港はそのはざまで微妙な位置を占めてきた。香港が「東方のベルリン」と呼ばれた冷戦期を連想させる構図である。

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