藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【31】ナショナリズム ドイツとは何か/エピローグ 民主主義を陶冶する
冷戦下の1985年5月8日、再統一前の西ドイツ・首都ボンの連邦会議場で「欧州での戦争とナチスの圧政の終結四十周年記念式典」が開かれた。その場でのワイツゼッカー大統領の演説は、「過去に目を閉ざす者は現在に盲目だ」という言葉によってあまりに有名だが、実はナショナリズムについても示唆に富むくだりがある。
我々ドイツ人はひとつの民族、ひとつの国民(eine Nation)だ。同じ過去を生きてきた一体感を持っている。1945年5月8日も民族共通の運命として経験し、我々を結びつけている。平和を願う一体感がある。平和と、すべての国との善隣関係を、(東西)両ドイツの地から広げねばならない。そして他のいかなる国もドイツの地を平和への脅威としてはならない。
我々自身を含むすべての人に正義と人権をもたらす平和を願うことで、ドイツ民族は結びついている。国境を越える和解は、壁で隔てられた欧州ではなく、分断が取り払われた大陸においてもたらされる。第二次大戦の終結がそう強く求めているのだ。5月8日がすべてのドイツ人に共通する歴史において最後の日付ではないことを、我々は確信する。
ナチス政権の終焉を、東西に分断されていたドイツ人の共通の記憶として刻みつつ、「すべての人に正義と人権をもたらす平和」をナショナリズムの理念として確かめている。民主主義において国民に何を求めるかを突き詰め、率直に語る。メルケル首相に連なるドイツの指導者の姿勢が現れている。
そして、おそらく本人の意図を超えて今も重みを持つのが、「5月8日がすべてのドイツ人に共通する歴史の最後の日付ではない」という言葉だ。
ワイツゼッカー大統領はドイツが再び統一される日を、ナチス政権終焉に次ぐ「すべてのドイツ人に共通する歴史の日付」にしようと呼びかけたのだろう。それはベルリンの壁崩壊の翌1990年、10月3日に実現する。
だが、ナショナリズムをめぐる問題は残った。それは、再統一で歴史のページにひとつの国として日付を刻んだドイツは、これから何を目指してまとまるのかということだ。
西側が東側を吸収したドイツの基本法には「人間の尊厳」がいぜん掲げられているが、国内外の変化に揺さぶられている。世代交代や移民・難民の増加でナチス時代の記憶が薄れゆく中で、「すべてのドイツ人に共通する歴史」をいかに紡ぐか。
未来への模索がドイツで続いていることを肌で感じたのも、今回の旅の“果実”だった。
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