小宮京(こみや・ひとし) 青山学院大学文学部教授
東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は日本現代史・政治学。桃山学院大学法学部准教授等を経て現職。著書に『自由民主党の誕生 総裁公選と組織政党論』(木鐸社)、『自民党政治の源流 事前審査制の史的検証』(共著、吉田書店)『山川健次郎日記』(共編著、芙蓉書房出版)、『河井弥八日記 戦後篇1-3』(同、信山社)など。
最高権力者の病の背後でうごめく権謀術数。歴史に学び今を読み解く
2020年8月、本来なら二度目の東京オリンピックが開催され、日本中がわいていたはずだった。だが現実は、年のはじめから感染が拡大した新型コロナウイルスの影響で、オリンピックをはじめ様々な行事が延期されるなど、パッとしない空気が漂っている。
そこにふってわいたような安倍晋三首相の突然の辞任表明である。理由は持病の潰瘍性大腸炎の再発だという。病で首相の職務をまっとうできないと安倍首相は説明した。政界は自民党新総裁、そして新しい首相選びへと日々、動いている。
日本の政治史を振り返ってみると、首相の病を引き金に、政治が動くことがある。一度目の東京五輪があった1964(昭和39)年もそうだった。病に倒れたのは、4年超の長期政権を担い、高度成長を成し遂げた池田勇人首相だ。
オリンピックが開会された10月10日、池田はオリンピック開会式に病院から出席した。8月に喉の異常が発見され、9月9日に入院、同25日「前がん状態」と発表していたからである。
池田は病室のテレビでオリンピックを楽しみ、マラソンの円谷幸吉選手の3位入賞を喜んだ。10月24日の閉会式を欠席し、翌25日に辞意を表明した。そこから後継総裁選びが始まり、2週間後の11月9日に池田首相は佐藤栄作を後継者に指名した。佐藤の長期政権の始まりであった。言うまでもなく、佐藤は安倍首相の大叔父にあたる。
池田首相は辞任を表明する3カ月前の7月10日に、自民党総裁選で3選を果たしたばかりだった。この時の対抗馬は佐藤栄作と藤山愛一郎である。
池田と佐藤は、吉田茂元首相に引き立てられたことから、「吉田学校の優等生」と称された。だが、総理総裁の座をめぐり、激しく争った。また、藤山は日商会頭などを務めた財界人。岸信介首相に懇請され外相に就任したのを縁に、政界入りした人物である。
投票結果は、総数478票のうち、池田が242票、佐藤160票、藤山72票だった。池田は過半数をわずかに超えたのみだった。勝利した池田は、池田を支持した河野一郎を副総理兼国務大臣(東京オリンピック担当)に任命した。佐藤と藤山は入閣しなかった。
直近の総裁選挙が近すぎたために、次の後継者を総裁選挙で決定するのは現実的でないと考えられた。三木武夫幹事長が提案した「話し合い―後継指名」という方式に従い、河野、佐藤、藤山の3人が池田後継を争った。このうち、直近の総裁選で2位につけた佐藤か、池田政権後半を支えた河野が有力と考えられた。
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