問題の根は「財産」と捉えられない政治家の時代錯誤にある
2020年08月29日
安倍晋三首相が辞任を表明した。
記者会見で挙げた理由は、難病である潰瘍性大腸炎の再発だった。
実は私も、同じ病をもっている。そして長年、政治を取材してきた記者でもある。そんな私がいま、どう感じているのかを記しておきたい。
それは大要、次のようなことである。
難病は、政治リーダーとしての「財産」になりえたはずだ。それなのに、安倍首相は自分の「弱み」のように思ってしまったのではないか……。
問題の根っこは、その時代錯誤にあるように思えてならない。
あらかじめ断っておくと、同じ病といっても病状はそれぞれに違う。そんなに深刻な状況を経験したことのない私に安倍さんの痛みはわからないし、病そのものについて論じられることは乏しい。
強いていえば、2012年に自民党総裁や首相に返り咲くころから、画期的な新薬のおかげで病を克服できたかのような言い方をしてきたことについて、誠実さを欠く物言いだ、もっといえばゴマカシだと感じていた。いったん症状が消えても、いつまたぶり返すかわからない。完治が難しいから難病なのだ。
とくにストレスがよくない。症状が治まっていても、ストレスだらけであろう首相に再びなれば、また悪化しないかと心配していた。長いあいだ再発を避けられたものの、結局は病気を理由に辞任することになったのは、同じ病をもつ者として残念でしかたがない。
辞任するのであれば、やまほどあった不祥事の責任をとって、もっと早く辞めてほしかった。
ところで私は、重い障がいのある舩後靖彦、木村英子両参議院議員の当選を歓迎している。さまざまな事情を抱えた当事者こそ政治に参加すべきだ、その声を反映させるべきだと考えているからだ。
だったら、難病患者の安倍さんが首相を務めることも歓迎すべきじゃないか? 私自身、ダブルスタンダードなんじゃないかという気がしないでもない。
ただ、舩後さんや木村さんと、安倍さんとでは明らかに違うところがある。ふたりは自身の病や障がい、そのせいで味わってきた生きづらさや差別を包み隠さずに語り、そんな社会を変えようととりくんでいる。自身の体験が彼らを突き動かす原動力になっている。
安倍さんはどうだろう。
2007年9月に首相を辞任する際、当初はインド洋上の自衛隊の給油活動継続のために「局面を転換する」ことを理由に挙げ、その後、実は健康問題だったと明かした。当初、異なる説明をしたのは「首相は在職中、みずからの体調について述べるべきではないと考えていた」からだと説明した。病を克服できたかのように説明することと同様に、ゴマカシを感じざるをえない。
「政治家は志を遂げるために自分の病気は徹底して秘匿しなければなりません。病気は大きなマイナスです」。安倍さんは「消化器のひろば 2012.秋号」に掲載された対談で、こんなふうに述べている。しかし、自身の病を弱みや負い目のように感じ、それを覆い隠しながら、生きづらい社会を変えるために、どこまで本気で動けるのだろうか。
2012年の暮れに首相に返り咲いて以降はどうか。
施政方針演説や所信表明演説をみると、難病の女の子から届いた手紙を紹介しながら、「難病から回復して総理大臣となった私には、天命とも呼ぶべき責任がある」と、対策強化への決意を示したこともあった(2014年1月)。
けれど、近年は舩後さんの当選を祝う言葉を除けば、「女性も男性も、若者もお年寄りも、障害や難病のある方も、更には一度失敗した方も、誰もが多様性を認め合いその個性を活かすことができる社会、思う存分その能力を発揮できる社会を創る」(2020年1月)などと、「難病」に触れるのはひとことだけのケースが多い。
当事者であればこそ、わかる痛みがあるはずだ。自身の病状も、感じてきた痛みも、自分の言葉で語れるはずだ。そうすれば息づかいが伝わり、人の心を動かしていただろう。それは難病患者に限らず、「誰もが多様性を認め合」える社会をつくる力になりえたのではないか。
しかし結局のところ、安倍さんは難病を自身の「財産」と捉え
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