権力行使や人事権のあり方を軌道修正することなく歴代最長政権に幕
2020年08月30日
「一強」を誇った歴代最長の政権が幕を閉じる。安倍晋三首相は8月28日、持病の潰瘍性大腸炎の悪化を理由に退陣を表明。第2次安倍政権が発足してから7年8カ月、長期に及んだ政権に終止符が打たれた。
アベノミクスによる景気浮揚にはじまり、集団的自衛権の行使を容認する安全保障法制の整備、森友・加計問題など功罪が交錯するこの政権は、日本政治の中でどんな意義を持つのか? そして今後の展望は――。随時、シリーズで考えてみたい。
首相官邸で行われた退陣表明の記者会見。終始、沈鬱な面持ちだった安倍首相が、誇らしげな表情を見せた場面があった。政権のレガシー(政治的遺産)は何かと尋ねられたときだ。
「20年続いたデフレに3本の矢で挑み、400万人を超える雇用を作り出すことができた」
首相はそう答え、胸を張った。
2012年12月に発足した第2次安倍政権はまず、金融緩和・財政出動・成長戦略を3本の矢とする経済政策「アベノミクス」を発動した。金融緩和の推進役は、財務官僚から日銀総裁に抜擢(ばってき)された黒田東彦氏だった。
「黒田バズーカ」ともてはやされた異次元の緩和で、円安・株高が実現。安倍政権は上々のスタートを切った。だが、この「成功体験」が逆に、安倍政治の「落とし穴」になっていく。その現実を安倍首相も直視していない。
金融緩和は、安倍政権が日銀に政策転換を迫って実現したものだ。だが、霞が関の受け止めは違った。官僚たちには「トップ人事」の問題と映っていた。どういうことか。
安倍政権の発足時はちょうど日銀総裁の交代期にあたっていた。安倍首相は、大胆な金融緩和に慎重だった白川方明総裁の続投を認めず、後任に緩和論者の黒田氏を据えたのである。
首相官邸の意に背(そむ)けば解任され、意に沿えば抜擢(ばってき)される――。「出世がすべて」の官僚たちに、効果てきめんの人事だった。
人事によって官僚を統制する手法は、その後もしばしば使われた。そのひとつが、内閣法制局人事だ。
2013年8月、安倍首相は内閣法制局長官に小松一郎駐フランス大使を抜擢した。法制局長官ポストは、法務、財務、総務、経産各省から出向している法律専門家が順番に就任してきた。外務省出身で法制局勤務の経験がない小松氏の起用は極めて異例だった。理由は明らかだ。
内閣法制局はそれまで、集団的自衛権(同盟国への攻撃を自国への攻撃とみなして武力行使する権利)の行使は憲法9条で禁じられている、という見解を守ってきた。しかし、安倍首相は米国との同盟強化の一環として、集団的自衛権の行使容認に舵を切る方針を示していた。
ワシントン大使館で勤務したこともある小松氏は、集団的自衛権の行使容認に前向きな発言をしていた。そこで安倍首相は小松氏を法制局長官にすえ、集団的自衛権についての憲法解釈の変更を推し進めたのである。小松氏はガンが見つかり、2014年に退任するが、集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障法制は15年9月に国会で強行採決され、成立した。強引な政策転換と官僚人事がまかり通った。
そのころ、安倍首相の側近がこう語っていたのが記憶に残る。
「官僚たちはそれまでの理屈を守るために激しく抵抗するかと思ったが、意外に弱かった。官僚は人事を考えると簡単に引き下がることがよく分かった」
だが、首相官邸の「驕(おご)り」とも思えるこうした態度には、深い落とし穴が待っていた。森友学園の問題である。
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