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自民党を「キャッチオール型」から「普通の」政党に変えた安倍政権の8年弱

8年近く政権を維持できた理由 政策の評価 「左派パッシング」の真相

三浦瑠麗 国際政治学者・山猫総合研究所代表

 安倍晋三総理が辞任を表明した。ここしばらく健康不安が各紙に書き立てられていたが、6月から持病が再発し、執務に困難をきたす状況だったという。

 8年近くにわたる長期安定政権であったためか、8月28日夕の辞意表明の記者会見は、情報が錯そうしたなかで、いささか放心状態にあるのではないかと思われるような質問が目立った。

 記者という存在は、取材対象に自らの人生の多くの時間を費やし、密着する。質問を投げかけ、回答を求めて追う側と、それを受ける側との、一種奇妙な相互依存の一端が垣間見えるような光景であった。

記者会見に臨む安倍晋三首相=2020年8月28日午後5時5分、首相官邸

安倍政権で進んだ政権・メディアの党派性

 と同時に強く印象付けられたのが、この政権の7年8カ月の間に著しく進んだ党派性である。

 質問のなかに、総理がメディアを選別して取材に応じるのは、安倍政権ならではの特徴ではないか、という趣旨の問いかけもあった。だが、党派性ということであれば、それは政権側だけでなく、首相を取材する側もまた、そうであった。

 敵と味方が厳然と存在するという意味での党派性は、日本政治においてまったく新しい現象というわけではない。それこそ、日本社会党は戦後の「55年体制」の中で、常に与党と対峙(たいじ)し続ける一大勢力であった。

 では、安倍政権における党派性の特徴がどこにあるのか。それは、メディアを通して見る政治が、少なくとも印象のうえでは大衆に開かれたものとなり、またメディア人自身がSNSで活動したりその声を拾ったりして、幅広い活動を展開するようになった点に見いだされる。

 以前ならば、政治にまつわる推測や分析は、早朝に戸口に届けられる新聞を読むまでは、大衆の知るところにならなかった。しかし昨今では、SNS上で飛び交う憶測や評価が世間に広がり、新聞がそれを後追いして記事ことも多くなった。さらに、製作費がめっきり減ったテレビの情報番組は、大方がその新聞や「Yahoo!ニュース」の後追いである。

 その結果、私たちの前には、以前とは比べようもないほどの大量の情報が、つぎつぎと届くようになった。だが、情報や分析の精度がそれで上がったかといえば、必ずしもそうではない。むしろ目立つのは、敵と味方の情報がじかに届くことによる、党派性の強調であった。

 本稿ではメディア論が書きたいわけではない。ただ、安倍政権の功罪を論じるにあたっては、メディアや社会全体が政治との相互作用によって分断し、党派化していった過程をおさえておくことが必要であろう。

安倍総理の「堅さ」

辞任会見に臨む安倍晋三首相=2020年8月28日午後5時、首相官邸

 安倍総理を見ていて思うのは、言動やその背景がよく理解できる、ということである。おそらくこの8年近くの間、日本で最も知名度が高く、最も毀誉褒貶の声を浴びせられてきた存在である。

 良きにつけ悪しきにつけ、これだけ注目の対象となり続け、しかも政権を崩壊させないできたということは、それだけのものを背負い続けるための精神的なコツをつかんでいるということでもある。岸総理の孫という「血筋」の下地はあるにしても、世襲の議員がみな当然のようにできるわけではない。

 安倍氏はすべてを包含しようとする人ではない。党派的であり、自分が取り込めない人にまで手を伸ばそうとするような過ちを、決して犯さない。政敵に対して、ときに仮借ない報復をし、権力維持に関しては徹底して冷徹である一方、側近からは高い忠誠心を勝ち得ている。

 気さくな一面もあるが、ごく親しい友人以外には、ひやりとした一線を引いて接していて、閣僚のなかには、安倍総理が何を考えているのかわからないという状況も、頻繁にあっただろう。君臨するという点においては、自民党内でも内閣においても「堅さ」があった。

成立しなかったメデイアとの洒脱なキャッチボール

 安倍さんは、記者会見などで自身の考えから外れた見解や質問が出されたときに、懸命にこらえて我慢しているという顔をすることがあった。そうした不快さをはらむ表情は、外遊で各国の首脳などと交流しているときには見られないものだった。それは、海外での明るい振る舞いの方が特別だったわけではなく、

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