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「国民民主党は立憲民主党より右だとかよく言われますが、全然違います」

原口一博インタビュー/上

木下ちがや 政治学者

 およそ1年にわたる紆余曲折を経て、立憲民主党、国民民主党、野党系無所属議員の合流による野党合同新党の結成が確実となった。これにより、2012年暮れの民主党下野以来最大規模の野党第一党が誕生することになる。この合流は立憲民主党への吸収合併ではなく、各党、会派が主体的に努力したことで、対等合併として成し遂げられた。このプロセスを主導した立役者のひとりであり、17年の「希望の党」騒動では無所属で総選挙に出馬することを選択し、そののち国民民主党をけん引してきた原口一博元総務大臣に、民進党分裂から新党結成にいたるまでの経緯と、これからの野党の目標と課題について聞いた。=インタビューは8月26日、国会内で行いました(聞き手・木下ちがや/政治学者)

拡大原口一博元総務相(左)と聞き手の木下ちがやさん=2020年8月26日、国会内

国民民主党の綱領づくりは合流新党を見据えていた

木下 野党の合流新党が結成されます。 この新党結成が、国民民主党の⽴憲⺠主党への吸収合併ではないことを踏まえるのがまず大切だとおもいます。原口さんは、国⺠⺠主党の国対委員⻑としてこの動きを牽 引してきましたが、2017年の希望の党騒動のさいには、いったん希望の党の公認を得ながらそれを蹴って 無所属での出⾺を選択されました、このような他の議員にはない特異な道筋を歩んできた原口さんとは、 まずぞこから話をはじめさせてください。当時、希望の党のどこに違和感を感じられたんでしょうか。

原口 希望の党というものは「2017年の日本新党」を目指したものだと認識しています。僕は1993年の最初の選挙(1993年)では日本新党ではなく無所属で出馬して、次点で敗れています。そのとき僕が日本新党に行かなかったのは2つの理由がありました。1つは日本新党が当時持っていた保守性、といいますか新自由主義的なファクター。僕にとっては自分と真逆なものです。そして細川護熙さんは僕の先生でもあり、彼のもとで「日本一づくり運動」というのもやりましたが、自民党に代わる政党であるといいながら自民党的体質を持っていた。この2つなんです。

 ひるがえってそれから20数年経ってみたとき、そこがまったく変われてないんですよ。小池さんもそうです。僕が出ている松下政経塾にも限界といいますか流れがあって、1つは松沢成文さんや前原誠司さん――前原さんは後でだいぶ変わられましたが――のような新自由主義的な流れ。僕はそうではなく、「緑の分権改革」という提案をしたように、格差を減らしながら地域で小規模分散でやっていくような考え方です。そこから見たら、2017年の希望の党は私の逆側にあったんです。

 それでも「韓信の股くぐり」をしてでも中で変えられるかな、と思ったこともあります。でも希望の党で行われていたのは基本政策の「踏み絵」、「排除の論理」です。僕は明るくあったかい政治を目指しているのに、暗くて冷たいんです。自分の選挙ではこういうことはやれないと思い、僕は民進党に残ったんです。

 だから話はわりとシンプルで、僕は民主、民進から1回も動いてないんです。党としては希望の党の方が、民主、民進から出て行った形ですよね。しかしすぐに希望の党はボロボロになっていき、僕が民進党を代表し、希望の党合流組からは階猛さんが共同座長になって作ったのが、いまの国民民主党の綱領なんです。この綱領は、将来の合流新党に向けて、民主・民進・立憲の綱領をベースに、より人権、人間の尊厳、自由の部分を膨らませたものなんです。国民民主党は立憲民主党より右だとかよく言われますが、全然違います。

 これは樋口陽一先生の本の中にもあるんですが、樋口先生は自分は憲法改正に反対だが歴史に正対して人間の尊厳について守る活動をしている人がいれば、そういう人が言う憲法改正論には耳を傾けるとおっしゃっている。僕は東大の文学部ですが、法学部の授業に潜り込んで樋口陽一先生からも学んだんです。いまでも授業でとったノートを宝のように持っています。僕と枝野さんは民主党、民進党で憲法調査会というのをいっしょにやっていて、そこにも樋口先生に話をしにきていただきました。自民党憲法草案では13条にある「すべて国民は、個人として尊重される」という条文を抜いてしまっているんですよね。先生に、この考えの淵源はなんでしょうかと尋ねたら、それまではすべて答えていただいていた先生がうーんと考え込んで「わからない」とおっしゃる。人権と自由のパラダイムといまの安倍内閣は対極にあります。そして、まさに自由と人間の尊厳を書き込んだのが、国民民主党の綱領です。それは今回の合流を見越してやっていたことなんです。

 だから僕はまったく動いていない。民主党をつくったときから一貫して人権の政党をつくろうと思っていました。今回はその2ステップ目がもうじき完成しようとしているところかな。


筆者

木下ちがや

木下ちがや(きのした・ちがや) 政治学者

1971年徳島県生まれ。一橋大学社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。現在、工学院大学非常勤講師、明治学院大学国際平和研究所研究員。著書に『「社会を変えよう」といわれたら」(大月書店)、『ポピュリズムと「民意」の政治学』(大月書店)、『国家と治安』(青土社)、訳書にD.グレーバー『デモクラシー・プロジェクト』(航思社)、N.チョムスキー『チョムスキーの「アナキズム論」』(明石書店)ほか。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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