バイデンの危うさ、そして菅義偉への疑念
2020年09月07日
長く生きてくると、少しずつだが、ものごとの本質がわかった気になってくる。筆者にとっては、それは「距離」の問題にかかわっている。筆者が「新型コロナ禍で考えた「ソーシャル・ディスタンシング」:社会、会社、個人の関係をどう空間的に認識するか」を書いた理由もそこにある。
この「距離」について注目した社会学者にゲオルク・ジンメルがいる。その著書『貨幣の哲学』のなかで、彼はつぎのように貨幣を位置づけた。
「貨幣は人間と人間とのあいだの関係、相互依存関係の表現であり、その手段である。すなわち、ある人間の欲望の満足をつねに相互に他の人間に依存せしめる相対性の表現であり、その手段なのである。」
ここでジンメルが強調したかったのは、貨幣自体に価値があるのではなく、個人、集団、社会の相互依存のなかで人間がいだくようになる相対的価値観に貨幣が立脚していることだった。貨幣で実際に購入できる商品やサービスが増加するにつれて、カネにすべてを見いだし、カネで命や正義を買ったりできると考える人も出てくる。その意味で、カネとの距離のとり方をみれば、その人のカネへの「浸潤度」(カネにこだわってカネの多寡をメルクマールとして行動する度合い)がわかる。
わかりやすい例をあげよう。秋元司衆議院議員だ。「朝日新聞」(「秋元議員の電話が発端か 証人買収、共犯者は頻繁に報告」)によれば、組織犯罪処罰法違反容疑で逮捕された彼は、カジノを含む統合型リゾート(IR)事業をめぐる汚職に絡む贈賄側への証人買収事件で、「汚職事件で保釈された2カ月後の今年4月、共犯とされる支援者で会社役員の淡島明人容疑者(54)に電話をかけて買収工作を持ちかけた疑いのあることが分かった」という。
この報道が事実であれば、秋元はカネさえ出せば、嘘の証言をさせて正義を歪めることができると信じていたことになる。カネが絶対であり、自分が絶対であるために、罪をいっさい認めようとしない。同じ類の人物が河井克之と妻案里だろう。「票」の買収という事実を決して認めない。彼らはみなもともと自民党議員であり、自民党員のなかにカネのためには社会正義を犠牲にしてもかまわないという風土があるのか、と思えてくる。
ただし、金権政治を当然視し、カネの力を信じて何でもするような政治家が自民党だけでなく、野党にも増えている。もっと率直に言えば、そもそも政治家をめざそうとする人物のなかには、カネとの浸潤度が高く、正義感のかけらもない輩が少なからずいるのではないか。
「人間と人間のあいだ」、すなわち「パブリック」という空間において、カネの果たす役割は決して絶対的なものではない。個人、集団、社会をつなぐものとしては「信頼」もあれば、「友愛」もある。この点に気づかなければ、政治はカネだけに左右されかねない。
米国に目を転じると、そこでは日本よりもずっとカネの力を信ずる者が多いことに気づく。カネさえ出せば、政治の意思決定を左右できる。これがいまの米国政治の現状だ。それを支えているのが、「ロビイスト」と呼ばれる仲介者
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