指導者は厳しい選挙を戦い抜くことで支持基盤も発進力も強くなる
2020年09月05日
自民党の総裁選挙は、予想された候補者が出そろい、9月8日に告示、14日に両院議員総会で投開票という日程で走り出した。うんざりするような退屈な選挙にならざるを得ない。
候補は、岸田文雄政調会長、石破茂元幹事長、そして菅義偉官房長官の3人。菅氏は既に岸田、石破両派をのぞく党内の大半から支持をとりつけ、“独走状態”に入っている。
新型コロナウイルス危機と安倍晋三首相の病気による退陣は緊急事態であり、党員投票まで行う通常の総裁選挙を実施するのは無理だとして、自民党執行部は党則にある簡略な選挙方法を選んだという。端的に言うと、党員にとって最も重要な権利である総裁選での投票権行使が、「緊急」という理由で阻まれたかたちだ。
これに対し、自民党内の若手、中堅議員は「広く党員の意見を聞くべきだ」と反発した。総裁選関連事項を決めるため、9月1日に開かれた自民党総務会には、小林史明青年局長、小泉進次郎環境相らが乗り込んで、党員投票実施に賛同する国会議員145人分、地方議員403人分の署名を手渡した。よくあるパフォーマンスにも見えるが、今度ばかりはそれにとどまらないだろう。
なぜなら、今回の対応は緊急事態だからということよりも、岸田、石破両氏、とりわけ党員や国民に人気がある石破氏の想定外の伸長やブームを恐れているという見方が強いからだ。
自民党の総裁選に限らないが、本格的で厳しい選挙を戦い抜いた指導者は、支持基盤も発進力もケタ違いに強くなる。コロナ危機のさなか、しかも歴代最長を記録した長期政権の突然の終焉である。いつもよりもさらに優れた指導者を選ぶ必要がある。願わくば、安倍首相を凌駕(りょうが)する優れた指導者の出現が待望されている。
昭和30(1955)年の自民党結党以来、多くの総裁選挙が実施されてきたが、そのときの事情で選挙手続きが簡略であった総裁(そして首相)ほど支持基盤が弱く、首相になっても国民的な支持を集めることが困難だった。
近くは小渕恵三首相の急死後の森喜朗首相、第1次安倍内閣の突然の退陣後の福田康夫内閣、そしてその福田内閣を引き継いだ麻生太郎内閣。その内閣が業績不足であったにせよ、それは首相一人のせいではない。選出課程に国民的関心や参加がなかったことに問題があった。それらがあれば、急な首相就任であっても、世論は温かく迎え、存分に力を発揮できるはずだ。
2001年4月の自民党総裁選における小泉純一郎氏の勝利は圧巻だった。彼のその後の党に対する、あるいは国民に対する強力な指導力は、この総裁選の経過と結果に基づいてる。この総裁選も今回と同じように両院議員総会で行われたが、「密室協議」で決まったといわれた森総裁(首相)の後任ということもあってか、「開かれた総裁選」を求める民意が強く、自民党は都道府県票を1票から3票に増やさざるを得なかった。今回の総裁選と同じである。
結果は、地方で支持を集めた小泉が都道府県票を軒並み獲得、その流れに国会議員がのった結果、小泉が過半数を上回る298票を獲得、本命視されていた橋本龍太郎元首相の155票を大きく超えた。小泉の圧勝であった。
首相就任から1カ月ぐらいたった頃、小泉首相から会いたいという電話がきた。その頃、私は政治の現場を離れて5年ほどが経っていた。指定された居酒屋に行くと、私的な懇談会をつくりたいから座長役を頼むということ。現職時代には重要問題で行動を共にすることが少なくなかったので引き受けた。ついでに、私は終わったばかりで生々しい総裁選について、本人からいろいろ聞き出した。
「勝つと思っていたのか」ときくと、彼は「総裁選への挑戦は三度目だったから、泡沫扱いかもしれない。だが、小泉もとうとう郵政民営化をあきらめたのかと思われるのがシャクだから立候補した」という。そして彼は「自民党をぶっ壊す」と過激なことを言って、連日のように街頭に飛び出した。
従来、総裁選の候補者はまず議員会館の自民党議員をあいさつ回りをしたものだ。ところが、彼はそれをしない。そのかわり、なんと渋谷のハチ公前や銀座の数寄屋橋交差点で演説をする。もちろん、そこには自民党員はほとんどいない。“投票権”がある国会議員が聞きにくるわけがない。
ところが、
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