ブレのなさで総裁の座を獲た小泉氏。石破氏の失速を招いたものは……
2020年09月05日
今日は政局話を書く。
政治家というもの、理詰めの演繹法では物事を考えない種族である。何が成功で、何が失敗か。体験や歴史にあたって、帰納法により現在進行形の政局の最適解を探ろうとする。
「あの時とそっくりだ」「いや、ここが違う」と議論が白熱するのは、なにも時間つぶしで昔話に興じているわけではない。政治家が切迫した様子で歴史を語り始めたら、それは政局の号砲だと思うようにしている。
今回もそうだった。コロナ禍対応の混乱により内閣支持率が長期政権下でかつてない低迷に沈み、安倍晋三首相の健康不安説が浮上するや否や、万が一の「首相退陣後」の政局を巡るいつものながらの「頭の体操」と同時に、政治家たちは盛んに昔話をし始めた。すぐにそれは一つの故事へと収斂(しゅうれん)して行った。
急な退陣となれば来年秋に予定されていた自民党総裁選は前倒しになる。後継は、安定性があり各派閥が推す者にすべきか、改革性があり派閥政治にアンチテーゼを唱える者にすべきか。
20年前に似た状況があった。従って今の政治家たちの帰納法による問題設定は、この一言に集約された。
「石破茂はあの時の小泉純一郎になれるか?」
2001年、森喜朗政権が、首相自身を含む数々の失言や不祥事により一桁台の内閣支持率に沈み、首相退陣が事実上確定した後に総裁選は前倒しされた。支持率の数字は違えど、ほぼ1年以内に衆院選が待ち構える今日と似て、あの時も半年後に参院選の審判が迫っていた。
野中広務前幹事長ら権力派閥の流れを汲む橋本派が狙ったのが、3年前の参院選惨敗で引責辞任した橋本龍太郎氏の返り咲きである。派閥の合従連衡はお手のもので、橋本氏優勢は当初、揺るがぬように見えた。これに対し、正反対の立場から立候補したのが小泉純一郎氏だった。
小泉氏はその3年前の参院選後の総裁選に立ち、勝利した小渕恵三氏はもちろんのこと、橋本派の前身の小渕派から飛び出て闘った梶山静六氏にさえ遅れをとり、足元の派閥の数さえ取れずに最下位の3位に沈んだ。
「終わった首相候補」と目されていた小泉氏にすれば、相手の強みを逆手にとって形勢逆転の一発勝負を賭けるしかなかった。「自民党をぶっ壊す」。体制内改革を標榜し、自らを古い自民党と対置した改革者たる「コイズミ」と自称して。
その結果、旋風のような小泉ブームを現出させてポスト森の座を射止めた。
そう書けば単純明快な政局に見えるが、ことはそれほど簡単ではなかった。
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