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石破茂氏はなぜ、あの時の小泉純一郎氏になれなかったのか~自民党総裁選

ブレのなさで総裁の座を獲た小泉氏。石破氏の失速を招いたものは……

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

形成逆転の一発勝負で首相を射止めた小泉氏

 2001年、森喜朗政権が、首相自身を含む数々の失言や不祥事により一桁台の内閣支持率に沈み、首相退陣が事実上確定した後に総裁選は前倒しされた。支持率の数字は違えど、ほぼ1年以内に衆院選が待ち構える今日と似て、あの時も半年後に参院選の審判が迫っていた。

 野中広務前幹事長ら権力派閥の流れを汲む橋本派が狙ったのが、3年前の参院選惨敗で引責辞任した橋本龍太郎氏の返り咲きである。派閥の合従連衡はお手のもので、橋本氏優勢は当初、揺るがぬように見えた。これに対し、正反対の立場から立候補したのが小泉純一郎氏だった。

 小泉氏はその3年前の参院選後の総裁選に立ち、勝利した小渕恵三氏はもちろんのこと、橋本派の前身の小渕派から飛び出て闘った梶山静六氏にさえ遅れをとり、足元の派閥の数さえ取れずに最下位の3位に沈んだ。

 「終わった首相候補」と目されていた小泉氏にすれば、相手の強みを逆手にとって形勢逆転の一発勝負を賭けるしかなかった。「自民党をぶっ壊す」。体制内改革を標榜し、自らを古い自民党と対置した改革者たる「コイズミ」と自称して。

 その結果、旋風のような小泉ブームを現出させてポスト森の座を射止めた。

拡大自民党新総裁に選ばれ、拍手にこたえる小泉純一郎氏=2001年4月24日、党本部で

 そう書けば単純明快な政局に見えるが、ことはそれほど簡単ではなかった。

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筆者

曽我豪

曽我豪(そが・たけし) 朝日新聞編集委員(政治担当)

1962年生まれ。三重県出身。1985年、東大法卒、朝日新聞入社。熊本支局、西部本社社会部を経て89年政治部。総理番、平河ク・梶山幹事長番、野党ク・民社党担当、文部、建設・国土、労働省など担当。94年、週刊朝日。 オウム事件、阪神大震災、など。テリー伊藤氏の架空政治小説を担当(後に「永田町風雲録」として出版)。97年、政治部 金融国会で「政策新人類」を造語。2000年、月刊誌「論座」副編集長。01年 政治部 小泉政権誕生に遭遇。05年、政治部デスク。07年、編集局編集委員(政治担当)。11年、政治部長。14年、編集委員(政治担当)。15年 東大客員教授

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