7年余りの間に、この政権は専制政治に確実に近づいてしまった
2020年09月05日
安倍政権を形容するキーワードのひとつが「私物化」であった。
私物化は法治の崩壊と表裏一体をなす。法治の反対は専制であり、専制政体とはつまり、国家そのものが専制権力の私物であるような政体である。7年余りの間に、この政権は専制政治に確実に近づいてしまった。
それを象徴する出来事が、「官邸の守護神」と呼ばれた黒川弘務・東京高検検事長の定年延長問題であった(本年2月)。国家公務員法と検察庁法における定年に関する規定の優先順位を逆にするという法解釈の変更を行なって定年延長を決めたというのだが、森雅子法相はこの変更を「口頭決裁」したのだという。行政の大原則である文書主義の否定である。
新藤宗幸・千葉大名誉教授(行政学)は、「文書を残すのは国民に対する責任であり、歴史に対する責任なのです。だから、どの段階で何をしたのか、いつ最終決裁をしたのか、それが検証できるような仕組みになっているのです」。「そのことが全く分かっていない。こんな政権そうそうないよ。もしこれを許したら、法律に基づく行政なんてなくなってしまう」と憤りに満ちたコメントを残している。
そして、この「口頭決済」によって発生した、黒川が定年を過ぎているにもかかわらず東京高検検事長の職にあるという事実を合法化すべく、検察庁法改正が目論まれる。松尾邦弘・元検事総長ら検察OBが、この法改正に対して強く反対して法務省に意見書を提出した出来事は、訪れた危機がどれほど深刻なものであるかを物語っていた。同意見書には次のような件がある。
本年2月13日衆議院本会議で、安倍総理大臣は「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」旨述べた。これは、本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。
時代背景は異なるが17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著「統治二論」(加藤節訳、岩波文庫)の中で「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告している。心すべき言葉である。
専制権力が立ち上がり、暴政が行なわれようとしている、とはっきり警告がなされたのである。だが、かかる専制的権力の中心にいる安倍晋三という人物は、ヒトラーやスターリンのごとき怪物的独裁者には到底見えない。むしろ、総理の演説原稿にはあまりに多くのルビが漢字に振られていることや、水を飲むタイミングまでもが指示されている写真が出回ったりもした。
ゆえにもちろん、安倍政権の権力の実態は、トップの指導力やカリスマ性にあるのではなく、それを支える者たちによる傀儡である、という見方は説得力を持つ。このことを証するかのように、最近ますます、内政外政を問わず側近の少数の官邸官僚が政策決定権を独占しているという報道が相次いできた。例のアベノマスクの一件も「全国民に布マスクを配れば不安はパッと消えますよ」という側近(=佐伯耕三総理秘書官・経産省)の囁きで始まったと言われる。
ここに見て取れるのは、第一次政権時の「お友達」政治のヴァージョンアップ(?)版である。当時の安倍は政権与党内の「同志」を積極的に起用し、それが「身びいき」との批判を浴びた
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