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「シャルリ―・エブド」襲撃事件裁判で熱を帯びる「表現の自由」巡る論議

テロの要因となったイスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画の再掲が波紋を広げ……

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

パリのキオスクで9月2日、店頭に並んだ仏週刊紙シャルリー・エブド(左上)=2020年9月2日、疋田多揚撮影

 世界を震撼させたフランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」へのテロ襲撃事件での共犯者14人に対する公判が9月2日から始まった。事件から5年が経過した現在、テロの要因となったイスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画などをめぐって、「表現の自由」があらためて論議を呼んでいる。

マクロン大統領が「フランスには冒瀆の自由がある」

 マクロン大統領は9月4日、第3共和制宣言(1870年9月4日)から「共和制150周年」に当たる今年の記念演説で、「シャルリー・エブド」へのテロ襲撃事件を念頭に、フランス憲法に明示されている「非宗教」は「表現の自由、冒涜の権利と分離できない」と指摘したうえで、フランス共和国の根幹が「非宗教」であることを強調した。と同時に、「非宗教」を無視した「イスラム分離主義者」の「居場所はフランスに決してない」述べて、イスラム教過激派を厳しく断罪した。

 マクロンはレバノン訪問中の9月2日にも、「フランスには(神への)冒涜の自由がある」と断言し、ムハンマドの風刺漫画を掲載した「シャルリー・エブド」を擁護した。

 「シャルリー・エブド」(毎週水曜発売)は裁判開始の9月2日発売の特集号で、表紙にテロ襲撃の要因となったイスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画を再掲載し、「全てはこれ(表現の自由)、このための全て」との見出しを掲げ、テロの脅威に屈せず、「表現の自由」を貫く姿勢を改めて強調した。

 この風刺漫画は2006年の「イスラム過激派」を特集した特別号の表紙に掲載されたもので、ムハンマドが手で顔を覆い、「バカどもに愛されるは辛い」と泣いている構図だ。同紙の主要メンバー、ジャン・カビュの作品で、風刺漫画史上、最高傑作の一つと評価されている。

編集会議中のメンバーを一人ずつ射殺

「シャルリ―・エブド」の編集室のあったビルの通り=2015年2月8日、山口昌子撮影
 「シャルリ―・エブド」が襲撃されたのは2015年1月7日午前11時30分ごろだ。アルカイダ系のテロ集団に参加し、イエメンで軍事訓練も受けたサイド・クアチとシェリフ・クアチの兄弟はカラシニコフで武装し、黒の覆面に黒装束でパリ11区の同紙の編集室を襲撃した時、「カビュ(事件当時71歳)はどこだ!」「シャルブ(編集長、事件当時47歳)はどこだ!」と叫び、次号の編集会議中だった同紙のメンバーを一人ずつ尋問したうえで、引き金を引いたと伝えられる。

 カビュ、シャルブ人を含めた8人と、ビルの入り口にいた管理会社の社員、シャルブを警護していた警官1人の計10人が殺害された。重傷者は11人。急報で駆け付けた付近をパトロール中の警官3人のうち1人(アラブ系フランス人)も、重傷を負って身動きできない状態で止めの一発を受けた。

 公判では、2日後の1月9日に発生したパリ市内のユダヤ系食料品への襲撃事件と、この食糧品店に近いパリ郊外で8日に発生した女性警官射殺事件の審理も同時に行われている。この二つの事件の犯人は、イスラム教過激派の「イスラム国(IS)」に感化されたアメディ・クリバリイだ。彼はクアチ兄弟の弟のシェリフとは刑務所仲間で、連動してのテロだった。

 ユダヤ系食品店では4人の客と店員1人が殺害された。8日の事件は当初、犯人が不明だったが、現場の下見にいったクリバリイが交通事故による渋滞に苛立って、事故の処理中の警官を射殺したことが判明し、その無残さが鮮明になった。三件のテロの死者は合わせて17人だ。

 クアチ兄弟は逃走中に、クリバリイは現場で特殊部隊と激しい銃撃戦の末に射殺されたので、主犯の3人が不在の裁判になったが、武器をはじめ物品や金銭などでテロを支援した14人が、共犯者として約2カ月間にわたって裁かれる。このうち、クリバリイの妻と武器供与をしたとみられる2人は、襲撃前に「IS」の本拠地シリアに脱出しており、欠席裁判になるが、終身刑は確実視されている。(フランスは死刑は廃止)。妻は2019年秋ごろにシリアで目撃されているが、他の2人の行方はわからない。米仏などによる「IS掃討作戦」で殺害されたとみられている。

SNSで広がった「私はシャルリー」のスローガン

 当時は、テロの直後から「私はシャルリー」のスローガンがツイッターやフェイス・ブックを通じて広がり、1月7日深夜までに約8万人が自発的にフランス共和国の象徴「マリアンヌの像」が設置されている共和国広場に結集した。「表現の自由」を標榜して記者証やペンを掲げた多数の記者も含まれていた。

 1月11日にはオランド大統領(当時)の呼びかけで、メルケル独首相やキャメロン英首相、ネタニヤフ・イスラエル首相、アッバス・パレスチナ自治政府議長(同)らが党派を超えて「デモ」への参加を表明し、大規模デモの参加者は約370万人にのぼった。

 「表現の自由」は、

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