少子高齢化、借金、原発……。そして、国力の衰退から目をそむけた安全保障論
2020年09月10日
日本人にとって安倍政権とは、「幻」を供給する装置だったのではないか。
8年近くにわたり、視界から深刻な現実を遠ざけ、自分たちの社会がまだまだ若くて、力強くて、豊かであるかのような幻を見せ続けてくれた政権。だから支持した。
だが現実の問題は幻で解決しない。むしろ一層深刻になった。
深刻な現実とは何か。少なくとも3つある。
まず急激な少子高齢化という人口動態の危機。第二に、途方もない規模に積み上がった国の借金。第三に、袋小路に追い込まれた原発問題。
いずれも身も蓋もない現実である。そしてどれも出口が見えない。
人口は減っているだけではない。急速に老い続けている。あと3年もすれば日本人の半分が50歳以上になる。これに、政権は出生率が上昇に向かう手を十分に打ったとも、移民を大量に受け入れる決意を示したとも言いがたい。
問題の核心は「国民不足」だ。「働き手不足」はその症状の一つに過ぎない。
だが、外国人労働者への門戸をわずかに広げただけで、その人たちを移民と呼ぼうとしなかった。文化や習慣の異なる移民を受け入れなくても日本は大丈夫だという幻を振りまいているようだった。
国の借金は、すでに日本の年間GDPの二倍以上。消費増税に二度延期したあげく踏み込んだが、立て直しの見通しは迷走したまま。「異次元の金融緩和策」の出口はだれも考えたくない。
そこへコロナ禍。財政出動にやむを得ない面があるにしろ、次から次へと繰り出される補償、それを足りないと批判する野党。このあと待ちかまえている困難を見据えた声は聞こえてこない。コロナ禍に乗じて財政規律は吹き飛んでしまった観さえある。パンデミックの試練からは、巨額の借金を抱えたままではいずれ危機対応もままならなくなるという教訓をこそ学ぶべきだと思うが。
「アベノミクス」も、実際と幻のどちらが大きかったか。
たしかに株価は上がり、失業率は下がった。しかし、金融資本主義が牛耳るグローバル世界で、株価は人々の暮らしの実情を示すものさしとして機能していない。株価が上がっても多くの人々は生活が楽になったと感じない。グローバルな市場経済がトリクルダウンをもたらすというのはおとぎ話だった。おとぎ話がハッピーエンドでも、現実の社会で幸せが増すわけではない。
失業率の低下は、ほとんど自動的に雇用情勢の「改善」と解釈されてきた。しかしそれでいいのだろうか。
長い間、この国は経済成長していない。にもかかわらず失業率が下がるのは、国民の数が劇的に減っているからだ。
急速に縮む市場で多くの企業が苦境に追い込まれれば、その先にあるのは雇用の減少だ。好調と形容される雇用情勢は、日本の病理の重症化の予兆ではないのか。
福島第一原発事故は「起きた」のではなく、今も「起きている」。廃炉には、何十兆円というコストと最短でも何十年という時間がかかるとみられている。
だが、安倍晋三首相は五輪誘致に「アンダーコントロール」というレトリックを持ち出した。
実際はアンダーコントロールどころか、廃炉への道は今も予測できない試練に満ちている。その点でも、廃炉事業は日本にとって五輪など取るに足りないくらいの世紀のメガプロジェクトのはずだ。
過酷な現実を、幻で覆い隠す。東京五輪はその象徴的な事例だ。
それが本当の幻になるとしたら、皮肉と言うしかない。
とりわけ、現実と幻の見分けがつきにくかったのは、安全保障の議論かもしれない。
安全保障政策への積極姿勢は、それだけで条件反射的に「現実主義的」だと見なされやすい。しかし、それが現実に目を向けないままの議論だったとしたらどうだろう。
安全保障の核にあったのは「自立する日本」というテーマだ。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください