2020年09月15日
筆者が論座で連載した「小沢一郎戦記」を加筆・再構成した『職業政治家 小沢一郎』が朝日新聞出版から出版されました。折しも新立憲民主党が誕生し、一方の自民党の方も菅総裁・首相体制が事実上固まりました。「解散・総選挙近し」の声も多く、政界は一気にポスト安倍の風向きを強めています。
日本の政治はどこから来て、どこへ向かうのか? その決定的な道標のひとつとなるのが、この本の役割です。(ジャーナリスト 佐藤章)
新しくスタートする立憲民主党の結党大会が9月15日に開かれる。新党結成に尽力した小沢一郎氏にとって3度目の「政権交代」の戦いが始まる。いや、この言い方は正確ではない。小沢氏の戦いは常に継続しているのだ。
昨年10月、安倍内閣が消費税の税率を10%に引き上げたころ、いかにも小沢氏らしいニュースが流れた。
在職50年を迎えた議員を対象とする「永年在職議員特別表彰」を衆議院事務局から打診されたが、回答を保留し表彰が先送りされたというニュースだ。
小沢氏は1969年総選挙に初当選して以来連続17回当選を果たし負け知らず。明治以来、衆議院議員在職50年を達成したのは、「憲政の神様」と呼ばれる尾崎行雄をはじめ三木武夫や原健三郎、中曽根康弘、櫻内義雄、そして小沢氏の6人だけ。このうち櫻内氏は参院議員期間も通算しているから、正確には5人だけだ。
特別表彰の対象議員が回答を保留するのは「異例」(2019年10月2日、共同通信配信)とあるから、まず初めてのことなのだろう。しかも、その理由について、小沢氏は「政権交代に向けて政治活動をしている真っ最中だ」(同)と答えている。
これがなぜ「小沢一郎氏らしい」かと言うと、議員活動を続ける小沢氏の最大の眼目、目的は「議会政治の日本への定着」であり「政治改革」であり、その最重要手段としての「政権交代」にあるからだ。
議員を続けること自体は目的でも何でもない。最大の眼目への道半ばにしての「特別表彰」は、小沢氏にとって何の意味もないことだろう。
私は昨年3月から今年3月まで、この「論座」に合計36回、「小沢一郎戦記」を連載した。連載を加筆、再構成した著書『職業政治家 小沢一郎』をこの10日、朝日新聞出版から刊行したばかりだ。
もう「時効」だから少しばかり内幕話を書いても許されると思うが、連載の当初、毎回のメインタイトルなどをめぐって小沢氏の事務所と編集部の間で意見の食い違いがあった。
編集部としては当然、ページビューを上げるために好奇心の湧く見出しを考える。ところが、そのような見出しは往々にして小沢氏の忌憚に触れた。
小沢氏にしてみれば、最大の政治目標である「政権交代」を目指すために障害物は細心の注意を払って取り除く必要がある。野党が一つのかたまりになる上で心理的障害となる見出しには厳しく反対せざるをえなかった。
その考えは徹底していて、小沢氏事務所と編集部の板挟みにあった私の「心理的障害」も一時期かなり高まった。
「障害」を乗り越え、出版にこぎつけた『職業政治家 小沢一郎』の本の帯には作家の佐藤優氏や東大名誉教授の井上達夫氏、法政大教授の山口二郎氏から推挙の言葉をいただいた。
その中でも山口氏の言葉は、この原稿を書く上でのヒントが詰まっている。
――この30年、多くの凡庸な政治家は敗北で淘汰された。小沢という政治家は(略)何度も敗北した。(略)敗北から立ち上がり、もう一度政権交代を目指すことは、小沢さんの最後の戦いである
ここで山口氏の言う「多くの凡庸な政治家」はなぜ淘汰され、小沢氏は何度も敗北をなめながらもなぜ生き残って、議員在職50年の特別表彰を後回しにできるだけのエネルギーを保ち続けているのだろうか。
その答えは、まさに「政権交代」を常に目指し、「議会政治の日本への定着」や「政治改革」を細大の眼目にしているからだ。この眼目の実現を自身の最高の政治的使命とし、徹底しているからこそ細心の注意を払ってネットメディアのタイトルに目を凝らし、必要とあれば厳しく指摘しなければならないのだ。
このことは、言うは易いが行うことはなかなか難しいことなのではないか、と私は思う。
私は、小沢氏のこの姿勢は、マックス・ヴェーバーが講演録『職業としての政治』(岩波文庫)で指摘した、目的や政策実現のためには「悪魔」とも手を結ぶ本物の「職業政治家」の姿勢に他ならないと考える。
もちろん、一つのかたまりとしての野党の姿が見え始めた現在、野党の他の指導者たちが「悪魔」と言っているわけではない。ヴェーバーは、政策実現のための政争を生き抜くために極端な表現を用いているが、小沢氏にはそれぐらいの覚悟が備わっている、ということを言いたいのだ。
「政権交代」や「政治改革」を貫く小沢氏は何度かの敗北にもかかわらず生き残り、「多くの凡庸な政治家」は淘汰されて政界を去っていった。なぜ彼らは「凡庸」であり淘汰されざるをえなかったのか。
直近の二、三の例を見てみよう。まず、政界に「れいわ旋風」を巻き起こした山本太郎氏の場合は小沢氏と関係が近いだけにわかりやすい。
今年7月に投開票のあった東京都知事選では現職の小池百合子氏が圧勝、野党側は山本、宇都宮健児両氏が並び立って野党票を分割し惨敗した。この経緯について、小沢氏は私のインタビューに対し率直に説明している(『職業政治家 小沢一郎』・特別付録)。
「4月に私は山本太郎君に、出るなら野党統一候補として出るべきだと言ったんです。それで、内々野党各党にも私の方から根回しをしたんです。それでみんなOKだったんです。ところが、太郎君が「やっぱり、『れいわ公認』じゃなければいやです」と言い出したんです」
この回想は、ありえたかもしれない歴史のもう一つの可能性として、実に多くのことを語っている。小沢氏直々の調整の結果、野党統一候補として立候補できる準備が整っていたにもかかわらず、そのチャンスを逃がしたばかりか、反対に野党統一の機運さえ一時的に遠ざけてしまった。
「結果として、野党統一を邪魔したような形になってしまいました。やっぱり自分に対する過信がこの結果を招いたと思う。(略)太郎君も大魚を逸したと思います。野党統一として出ていれば、負けたとしてもいい勝負はしたと思う。そうすれば有権者の受けも全然ちがう」
小沢氏の見立て通り、「れいわ旋風」に乗った山本氏が野党統一候補として小池氏とサシで勝負していれば、小池氏に肉迫した可能性がある。そうなれば、山本氏の政治的可能性が広がるだけでなく、野党統一の機運も相当盛り上がったはずだ。
「太郎君は政治感覚をもっと磨かなければいけないと思いますね。しばらくは自ら「雑巾がけ」をした方がいいと思う。政治家としてまだまだ成長しないといけません」
小沢氏は暖かい言葉を忘れないが、山本氏に欠けていたのは、現在地点での政治全体を見通す力だろう。「本当に困っている人を助けたい」という山本氏の熱意は理解できるが、そのことを実現させるためには都知事選で共倒れの選挙戦を戦うことではなく、野党統一の重要な一翼を担って政権獲得の戦いに挺身することこそ必要なことだった。
安倍政権が続いた7年8か月はこれまでの日本政治史には類例がないような時間だったと考えられる。
森友、加計問題や「桜を見る会」の問題、森友に端を発する公文書改竄問題、IR汚職や元法相夫妻による大規模買収事件と破格の1億5000万円供与問題など。さらには外交、経済政策における大失政とそれを糊塗するための虚飾に満ちた美辞麗句の羅列。
未曽有のパンデミック状況を呈するコロナウイルス対策にはまったくと言っていいほど熱意を示さず、この冬に予測されるウイルス第3波にはほとんど備えができていない。
7年8か月の間に、日本社会は、安倍自民党のためにあらゆる側面でズタズタにされたと言っていいだろう。この状況を変えるには、結集した野党の力によって選挙で自民党を下野させるしかない。その一翼を担うことこそ、山本氏にとって、現在地点での最大の政治的使命のはずだ。
立憲民主党と国民民主党の統一を呼びかけておきながら、自らは統一立憲民主党への参加を拒んだ玉木雄一郎氏の場合はどうだろうか。
なぜ新党へ参加しなかったのか、その真相はいまだ十分にはわかっていないが、この場合も「政権交代」という現在地点での最大目標を見失った行動と言える。
山尾志桜里氏の場合も同様のことが言える。「政策提案型の中道政党」の必要性を訴えているが、ヴェーバーの言う通り、政策実現のための「政権交代」のために「悪魔」とでも手を結ぶ覚悟で挺身しなければ現実的な意味がない。
では、彼らは「多くの凡庸な政治家」の一人となり、淘汰されてしまうのだろうか。もちろん、彼らには生の可能性が開かれており、自らの真の政治的使命に気がついてほしいと願うばかりだ。
自らの政治的使命を忘れない小沢氏は、1993年に細川護熙政権を成立させ、2009年に民主党政権を誕生させた。自民党・社会党の「55年体制」を破壊したどころか、2度自民党政権からの政権交代を成し遂げた。
今回の新党成立に関しても、小さくない役割を担った。新党名をめぐって立憲民主党の枝野幸男代表と国民民主党の玉木代表の間で話し合いが暗礁に乗り上げた時、枝野氏を口説いて妥協に導いたのは小沢氏だった。
その小沢氏は、新党結成が本決まりとなった8月13日には記者団に対して語気強くこう語っている。
「我々が自民党・安倍政権に代わって国民のための政治を実行すると言う気概で、総選挙で政権交代を考えていくし、それが国民の期待だと思う。絶対次の総選挙の後は我々の政権だよ。間違いない」(8月15日FNNプライムオンライン配信)
小沢氏はこれまでに、一般には見えないようなもう一つの現実、もう一つの可能性をしばしば語り、時にはその通りに実現してきた。
たとえば細川護熙政権の成立前夜、劣勢と考えられた野党リーダーたちを叱咤激励して形勢を逆転させたのは小沢氏の眼力のなせる技だった。民主党政権誕生の前に自民党との大連立を考えたのも、実現はしなかったが、民主党の経験不足を懸念した小沢氏の深謀遠慮だった。
近くは、さきほど紹介したように、山本太郎氏の野党統一候補としての都知事選立候補、その余勢を駆っての野党統一攻勢シナリオが描かれていた。
その小沢氏が「絶対次の総選挙の後は我々の政権だよ。間違いない」とまで断言している。この点について、私は小沢氏に直接話を聞いたわけではないが、ロングインタビューを重ねてきたジャーナリストとして、小沢氏の考えの一端は予測がつくように思う。
まず、次期首相となることが確実な菅義偉氏は基本的に安倍政権の路線を継承することを明言している。同政権の官房長官だから当然のことだが、ここが致命的な弱点になる可能性がある。
先に安倍政権の失政の大略を指摘したが、はっきり言えば国民の大半は安倍政権の7年8か月に大きい失望を味わっている。コロナウイルス対策についても国民の評価は極めて低い。
安倍首相が辞任表明した後に実施された世論調査で、消極的支持も含めて、安倍内閣の支持率が高まったという報道があったが、持病の悪化が辞任の理由という筋書きへの同情を集めただけで、ほとんど意味がない。
これに加えて、菅官房長官の失言が目立つ。菅氏は9月10日夜、テレビ東京の番組で、「将来的なことを考えたら、行政改革は徹底して行った上で、国民にお願いをして消費税は引き上げざるを得ない」と発言した。
菅氏は翌11日の記者会見で、「安倍首相がかつて、今後10年ぐらい上げる必要はないと発言している。私も同じ考えだ」と軌道修正したが、野党側は枝野・新立憲民主党代表も含めて「ゼロ・パーセント」も含む消費税減税に大きく傾いている。
消費税減税をめぐっては枝野氏は当初消極的だったが、小沢氏は私のインタビューに対して「景気条項」を新たに入れることを主張していた。コロナウイルスの影響で今後、景気が極端に悪くなることが予想される現在、消費税については減税を考えざるをえない。
枝野氏は、ここにきて政策的にかなり柔軟な考えを採るようになったようだ。小沢氏の影響かもしれないが、政権交代を目指すには非常に重要な姿勢だと思われる。
一方の菅氏は、安倍政権7年8か月の足かせがある上に、経済政策など国の全体の施策を進める上で今一つ将来を見通す力に欠けるように見受けられる。
景気が最悪の状態の時に消費増税を言い出すという経済常識の欠如には驚くが、コロナウイルスの第2波が高まりつつある中で、工夫のないGoToキャンペーンを繰り広げる牽引役を担ったという報道に接する時、遅かれ早かれ国民の失望を買うような失政を引き起こす恐れが強いのではないか、と思われてならない。
「絶対次の総選挙の後は我々の政権だよ」という小沢氏の見通しは、我々の目にも徐々に明らかになってくるのではないだろうか。
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