山口二郎(やまぐち・じろう) 法政大学法学部教授(政治学)
1958年生まれ。東京大学法学部卒。北海道大学法学部教授を経て、法政大学法学部教授(政治学)。主な著書に「大蔵官僚支配の終焉」、「政治改革」、「ブレア時代のイギリス」、「政権交代とは何だったのか」、「若者のための政治マニュアル」など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
神津里季生・山口二郎の往復書簡(10)政権交代をめざしプレーボールがかかった
神津様、久しぶりの書簡を拝見し、この2カ月間、野党再編のために払われた努力に心から敬意を表したいと思います。
大きな敵を見据え、同志を結集するというのは戦いの常道ですが、そうした現実主義が通らないなか、野党の合流を図るのは大変な難事だったと思います。バラバラであれば政権を取る気がないと非難され、大きな塊を作れば理念なき野合と揶揄(やゆ)される。野党に対する冷笑は止むことはなく、支持率が急に上がることもありません。
だがそもそも、支持率のために政党をつくるわけではない。理念と覚悟をもって、決意した道を進むしかありません。政権交代を担える大きな野党を作るという評価基準に照らせば、今回の合流新党には100点満点で90点をつけたいと思います。
小選挙区を柱にする選挙制度改革に対応した新たな野党結成の試みが始まって25年になりますが、再編はもっぱら野党側で続きました。文字どおり長い試行錯誤の連続で、質の純化と量の拡大の二律背反に悩みつつ、賽の河原の石積み状態が続きました。
しかし、今回の新「立憲民主党」の結党は、今までの政党の合併とは明らかに違うと私は考えています。その理由は以下のようなものです。
野党の再編と労働運動における「連合」の形成は、多少の時間差はあるものの事実上、軌を一にして始まりました。
1990年前後、東西冷戦が終わり、ソ連型社会主義が崩壊し、日本の左翼政党と左派的労働運動にとりついていたマルクスレーニン主義の呪縛は消えました。市場経済と議会制民主主義を前提として、平等、公平な経済をつくるという西欧型社会民主主義の政党を日本でもつくる条件が整ったわけです。
1998年からは民主党をそのような政党に育てるべく、神津さんも私も奮闘しました。小沢一郎代表が掲げた「国民の生活が第一」という路線は、まさしく日本版社会民主主義だったと思います。