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沖縄の翁⻑前知事が菅新政権の喉元に残した「楔」

菅⽒と翁⻑⽒の間にあった決定的な歴史認識の齟齬

阿部 藹 琉球大学客員研究員

戦後生まれなので沖縄の置かれてきた歴史は分からない

 知事の声明発表については、その数ヶ月前から準備がなされてはいたものの、実際に行うかはどうか直前まで実質的に「保留」の状態であった。というのも同年8月10日から9月9日までの1ヶ月間、名護市辺野古沖の埋め立て工事を中断した上で米軍新基地建設をめぐる日本政府と沖縄県の集中協議が行われていたためだ。

 知事の国連演説を提言し、実現のために準備を行っていた沖縄の市民団体「島ぐるみ会議・国連部会」で部会長を務めていた島袋純教授(琉球大学)は、「集中協議で知事が折れる、妥協するとは全く思っていなかったが、国連訪問を少し延期するという可能性はあるかもしれないと思っていた」と語る。

 5回におよんだ集中協議で翁長知事が最もその思いを語り、沖縄の歴史を説明した相手が菅官房長官だった。しかし、9月7日に安倍首相も出席して行われた最後の協議において『私の話は通じませんか』と問うた翁長知事に対し、菅官房長官から出たのは『戦後生まれなので、沖縄の置かれてきた歴史についてはなかなか分かりません』という言葉だったという。

 日本の一部として戦中、戦後と多大な犠牲を払ってきた沖縄の歴史を軽んじ、自らの無知を省みることすら放棄して開き直ったこの言葉に、『お互い別の70年を生きてきたような気がする』と返した翁長知事の絶望感、無力感を想像するとあまりある。

拡大初会談に臨む菅官房長官(左)と沖縄県の翁長知事。辺野古についても話しあわれた=2015年4月5日、那覇市内のホテル

 なぜ菅官房長官は1996年の普天間飛行場返還合意より前の歴史を見渡すことを頑なに拒否したのだろうか。

 菅官房長官と翁長知事の対立を描いた2015年11月放送のNHK「クローズアップ現代」で、官房長官担当の記者はその立場について「戦争直後にまで遡って議論することはあまりに現実性を欠き、問題の解決を困難にすると考えている」と解説しているが、たかだか70年前(当時)の歴史を踏まえると現実的な議論ができない、ということは考え難い。もしそうであれば同じく70年前(当時)のソ連の対日参戦と占領に端を発する北方領土問題も到底現実的な議論はできず、問題の解決が困難である、ということになる。

 むしろ、翁長知事と同じ歴史の地平に立てば知事の主張の正当性を否定することが困難であるがゆえに、頑なに歴史を遡ることを拒んでいたのではないかと考えざるを得ない。

 協議決裂から2日後の9月9日、県側から島ぐるみ会議・国連部会にペンディングになっていた口頭声明の第一稿が届く。そして翌10日、国連部会の島袋部会長と、国際人権法の専門家であり、翁長知事に国連人権理事会での資格と発言枠を利用してもらうことになっていたNGO・市民外交センター代表の上村英明教授(恵泉女学園大学)は、国連演説の実施に向けて沖縄県庁で翁長知事と面談した。上村教授によると知事はその場で改めて「私はあらゆる手段を使って辺野古を止めたい」と語り、声明は自らが書き、会議場でも自分の言葉で語りたいと述べ、二人は了承したという。

 英語の表現や語順変更に関するアドバイスなど何度かのやりとりが島ぐるみ会議と県の間で話されたが、声明に綴られた言葉は翁長知事が決めたものである。「沖縄の人々の自己決定権」という言葉は第一稿から含まれており、最終最終稿ではそれが声明の中心テーマになっていた。

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筆者

阿部 藹

阿部 藹(あべ あい) 琉球大学客員研究員

1978年生まれ。京都大学法学部卒業。2002年NHK入局。ディレクターとして大分放送局や国際放送局で番組制作を行う。夫の転勤を機に2013年にNHKを退局し、沖縄に転居。島ぐるみ会議国連部会のメンバーとして、2015年の翁長前知事の国連人権理事会での口頭声明の実現に尽力する。その後仲間と共に沖縄国際人権法研究会を立ち上げ、沖縄の諸問題を国際人権法の観点から分析し情報発信を行っている。2017年渡英。エセックス大学大学院にて国際人権法学修士課程を修了。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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