外交・安保政策の何が変わり、何が変わらなかったのか。
2020年09月22日
2020年9月16日に安倍晋三政権が総辞職、菅義偉新政権が発足した。安倍首相は外交・安全保障政策に積極的な姿勢を見せ、NSC(国家安全保障会議)の創設、平和安全法制の制定など、様々な施策を実現してきた。それによって日本の外交・安保政策の何が変わったのであろうか。本稿では、安倍政権における外交・安全保障政策を振り返りつつ、菅政権の外交・安保政策について考えてみたい。
安倍政権で変わった点でまず挙げるべきは、2013年から14年にかけてNSCとNSS(国家安全保障局)が創設されたことであろう。これらは米国のNSCを模範として、外交・安全保障政策における官邸機能を強化するためにつくられた組織である。13年には初の国家安全保障戦略も策定され、日本が取るべき安全保障政策の指針を定められた。
NSCとNSSは外務省や防衛省などに分かれていた外交・安保政策を首相官邸のもとに一元化し、横断的な政策決定を行う場となった。外務省、防衛省などから集められたスタッフがNSSで勤務したのち、元の省庁へと戻っていく。これにより、外交・安全保障の縦割り構造は各省庁にまたがる横断的な構造へと変わっていった。
NSC発足をはじめとする外交・安全保障政策における官邸一元化が実現した一因は、安倍政権が長期政権であったことだろう。安倍政権においては、主要閣僚が頻繁に交代することなく長期間在任した。たとえば外務大臣は、岸田文雄氏が約5年間、河野太郎氏も約2年間、その地位にあった。
大臣としての経験が積み上がるなかで、専門知識が増し、見識も深まる。定期異動がある官僚と互角に渡り合うことが可能になり、コントロールが容易になった。その結果、外交・安保政策においても、政治主導で連続性が維持されるようになったと言えよう。
安倍政権で変わった点としては、FOIP(自由で開かれたインド太平洋構想)も挙げられる。FOIPとは2016年8月27日、ケニアのナイロビで開催された第6回アフリカ開発会議(TICAD VI)の基調演説において、安倍総理が打ち出したもの。ルールに基づく国際秩序の確保を通じて、自由で開かれたインド太平洋地域を「国際公共財」として発展させるという考え方である。
安倍総理は2012年の就任当初からインド太平洋地域の重要性を指摘、法の支配、航行の自由などの国際秩序維持を打ち出していたが、中国の動きが活発化するなか、FOIPは中国が打ち出す「一路一帯」などの戦略への対抗軸ともなった。今では、米国などの主要国もFOIPに賛同し、積極的に後押ししている。
日本政府も、インド太平洋地域諸国に対してインフラ整備やTPP(環太平洋パートナーシップ協定)などの経済パートナシップの強化、巡視船の供与や人材育成を通じ、各国の海洋警察能力の構築を後押ししている。外交・安全保障だけでなく、経済にも跨(またが)る概念を打ち出し、それを進めたのは安倍政権の成果と言えよう。
こうした変化があった一方で、変わっていない点も存在する。最も大きいのは外交・安全保障政策の根幹部分であろう。確かに安倍政権において、集団的自衛権の解釈変更や平和安全法制は実現した。しかし、それでも外交・安保政策の根幹部分は変わっていない。
そう書くと、憲法を想起する人がいるだろう。日本政府は、日本国憲法の制定以来、解釈変更によって、外交・安保政策を進めてきた。裏を返せば、憲法に手をつけることなく、外交・安保政策を時代に合わせて推し進めてきたのである。
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