菅政権「デジタル改革」の罠(2)
2020年09月28日
今から167年前の1853年、浦賀沖に米国ペリー提督率いる黒船が来航して徳川幕府は上を下への大混乱に陥り、明治維新につながっていった。それ以来、日本人の保守的で慣習に流されがちな側面を揶揄して「黒船が来ないと改革はできない」としばしば表現される。
10月1日から、次期政府共通プラットフォームは米国企業のAmazonが提供するAWS(Amazon Web Services)のクラウド・コンピューティング・サービスに移る。この事態をわかりやすく言えば、「みんなで黒船に乗って改革してもらおう」という話だ。
「みんなで乗れば怖くない」という意識が安倍政権の方針を引き継いだ菅政権にはあるのかもしれないが、本当に「怖くない」のか。
幕末の黒船には吉田松陰が乗り込もうとしたが、その話とはまるで違う。松陰は身を捨てても先進文明を学ぼうとする覚悟を決めていたが、現在の日本政府は黒船Amazonの単なる客だ。しかも、国民や政府の機密情報が大々的に流出するリスクにも目をつぶって乗ろうとしている。
Amazonにみんなで乗ることを決めた安倍内閣の総務相、高市早苗氏は日本会議国会議員懇談会の副会長でもあり、右翼的な言動が目立つ。
その高市氏は今年5月20日、自らのホームページ上のコラムでこう綴っている。
「私は、『第2期(次期)政府共通プラットフォーム』について、何とか『純国産クラウド』で整備できないかと考えていました。昨年9月の総務大臣就任直後、『設計開発の一般競争入札』は昨年3月に終わっていたものの、諦め切れずに、改めて国内各社のクラウドサービスとの比較・検証を行いました」
愛国の情がそうさせたのか、高市氏はAmazonと国内メーカーとの比較、検証の再調査をしたと記している。だが、その結果についてはこう続けている。
「日本人としては残念ですが、十分な比較・検証の結果、AWSは、『セキュリティ対策』も含め、『クラウドサービスのメリットを最大限活用するという点』で、国内各社のクラウドサービスよりも優れていました」
本当にそうなのか。この高市氏の言葉に対して、私が取材した日本有数のセキュリティ設計専門家は問題の深さをこう指摘している。
「ふざけるなという話ですよ。それだったら、なぜもっと早く国内メーカーや専門家にそういう問題提起をしなかったのでしょうか。問題は政府基幹システムのアプリケーションもセキュリティも今後はAmazonに従うということです。もっと早く議論すれば専門家や学者がいろんな意見を出したでしょう。安倍さんや菅さんのやり方はまさに独裁でしょう。議論や意見の出しようがない」
しかし、この専門家も高市氏も、Amazonなどの海外勢に比べて日本の国内メーカーが技術力で劣っていることを認めている。
なぜ、こんな状態になってしまったのだろうか。
私は日本の国内メーカーがどんどん力を落としていった2007年から09年にかけて、この問題を集中的に取材したことがある。
この問題は、メーカー側を取材してもその原因はなかなか見えてこない。むしろ、クライアント側に目を移すことによって問題の所在がはっきりと浮かび上がってくる。当時の取材現場からわかりやすい事例を二つほど挙げてみよう。
2000年7月、国税庁システム構築の入札で驚くべきことが起こった。最終的に61憶円の契約となったが、当初NTTデータがわずか1万円で応札してきたのだ。いったんシステム構築の仕事を取れば、以後の随意契約で高値の改修作業を取り続けることができるからだ。
NTTデータのこの入札はふざけたやり方だが、このころ日本の大手IT企業はやはりそれぞれの縄張りを確保しようと躍起になっていた。
経済産業研究所の報告によると、2001年度の政府調達ではNTTや日立製作所、NEC、富士通の4大グループで6割、これに東芝や日本IBMなどを加えた10大グループで8割を受注していた。
これら大手グループのトップ企業は2次下請け、3次下請けなどの多重構造ピラミッドの頂点に君臨しているため、土木建設業界のゼネコン企業にちなんで「ITゼネコン」と呼ばれている。このITゼネコンの市場寡占こそ、日本のIT産業が衰退していく最大の要因となった。
2001年4月、日本総合研究所から長崎県にひとりのシステムエンジニアが出向してきた。同県の最高情報責任者(CIO)に就いた島村秀世氏だ。
島村氏は当初建設業界のゼネコンで電算業務を担当していたが、日本総研に移って金融機関の電算化を手掛けた。だが、子会社へ出向していた時に、技術力があっても中小IT企業はなかなか受注できず、ブランド力だけで受注していくITゼネコンのやり方に疑問を感じていた。
国税庁システムを1万円入札で落としたNTTデータのやり方は極端な事例だが、当時のITゼネコンは縄張りを築くためにかなり貪欲な姿勢を見せていた。
このため、自治体からのIT調達改革を目指していた長崎県の呼びかけに「大喜びで飛びついた」(島村氏)。
私が長崎県庁に島村氏を訪ねた時、彼の「実績」のひとつが真っ先に目に飛び込んできた。長崎県の観光案内映像などを流すディスプレイのコンピューターは地元業者が県内の電器店で買った部品で作り上げたもので、製作費は70万円。ITゼネコンに発注すれば300万円程度は取られた。
島村氏はまず県庁職員自身のIT知識向上を目指した。このため、職員全体の休暇システム作りを育児休暇から復帰したばかりの30代の女性職員に任せた。この職員は当初、パソコンでメールや検索ができる程度で、入門書からスタートしなければならなかった。しかし、地元業者と打ち合わせを重ねて半年後には設計書を完成させるまでにこぎつけた。
第一歩から始めて職員全体のIT知識の水準もどんどん上がり、大手業者に依頼すれば数百万円かかりかねない少々のシステム変更などは職員自身がこなせるまでになった。
このために長崎県全体のシステム製作費は年を追って低下し、地場企業の受注割合は増加していった。
ITゼネコンはいったんシステム構築を受注すると設計仕様などのソースをクローズする。こうしておけばこのシステムには他社は入れず、翌年度以降の改修事業などは黙っていても随意契約で入ってくる。これは、自治体や国税庁などの中央省庁だけではなく、民間企業でも同じ構図だ。
このクローズドソース体制に挑戦したのが長崎県であり、島村氏が率いる同県の職員たちだった。
もうひとつの事例を紹介しよう。
沖縄県浦添市はITコンサルタント企業と共同して独自の業務システムを開発した。さらにこのシステムの設計図を公開して、他の自治体に共同管理を呼びかけた。このように設計や仕様を公開するやり方をオープンソース体制と呼ぶ。
先のクローズドソース体制に対して、システム全体を社会の共有財産にしようという考え方である。こうしておけば、自治体や中央省庁のシステム構築は競争の下に置かれ、予算低廉化とITを中心とした社会全体の進化につながっていく。
私が取材した2009年に稼働を始めた、地方税や国民健康保険、年金などの「基幹系」と呼ばれるシステムの発注価格は約8憶円で、ITゼネコンを使っていたころに比べて半分以下で済んだ。
これを可能にしたのは2年間かけて実施した市役所の業務見直しだ。余計な手続きが減れば、それだけシステム構築費は安くなる。
「なぜ、ここでその作業が必要なんですか」
見直し期間の間、コンサルタント企業の社員が市の職員の後ろにはりつき、一つひとつの作業の意味を洗い出し、作業の効率化を目指した。
極端な例は、小中学生の保護者への就学援助だった。それまで申請から通知までに必要だった20もの作業をわずか二つの作業にまで減らせることがわかった。
いかに無駄な作業をしていたか。すべての作業を見直した結果、システム費用が安くなっただけでなく、市職員も業務に習熟した。以前はシステム構築や補修をすべて大手ITメーカーに任せきっていたが、職員自身がシステムや市全体の業務を幅広く知るようになった。
そして、この先進的な事例を考える上で欠かすことのできない視点は、このオープンソース体制は「韓国モデル」を下敷きにしたという点だ。
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