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中国・内モンゴル自治区の教科書問題

我らの舌は、いつの間にメスを入れられたのだろうか?

劉燕子 現代中国文学者・作家・日中翻訳家

民族的アイデンティティの抑圧は変わらない

 文革後、民族政策は是正され、人民代表の選出、民族地区補助費の配分、計画出産(一人っ子政策)、進学などで特別措置が講じられてきた。しかし根本的矛盾は解決されず、「文化的ジェノサイド」と呼ばれるほど民族教育は滅亡の淵へと追いこまれた(矛盾には一部の漢人が逆差別されていることや入試で少数民族に加点があるため漢民族が少数民族に民族出自を変えることなどもある)。

 これに対して、民族の言語・文化の復興などを背景に、78年5月、自治区高級人民法院の向かい側に大字報(壁新聞)が張り出され、民族学校は名目だけで実態は漢語学校で、母語と第二言語が転倒させられており、モンゴル語で授業を行う大学の設立が提起された。81年8月3日に漢人のモンゴル入植に関する「二八号文件」が公布されると、学生たちは反対し、「自治は名ばかり」と批判し、憲法の枠組みの中で民族政策を確実に実施し、民族の文化やアイデンティティを守る「真の自治権」を求めた。

 これらは、1985年12月12日に新疆ウイグルのウルムチで起きた学生デモ、86年12月、安徽省合肥の中国科技大学の学生デモに端を発した第一波の全国規模の学生運動(八六学運)、88年5月4日、北京大学での民主サロンの発足、その翌月、学生の死亡事件への抗議から広がった学生運動、12月30日のチベット大学の学生デモ、そして89年の天安門民主運動へと展開した自由や民主を求める大きなうねりの嚆矢となった。

 だが、天安門事件で民主運動は武力鎮圧された。その後、共産党政府は改革・開放を加速させ、政治的イデオロギー的統制に利益誘導を加え、少数民族に対しては従属的な開発独裁を押し進めた。しかも、それは「一帯一路」の大規模プロジェクトに連動し、ますます従属が強められている。共産党政府は民族問題を言論・言語の統制だけでなく、開発・利益でカバーしようとしているのである。表面では変わったように見えるが、民族的アイデンティティの抑圧という本質は変わらない。

 このようにして、モンゴル人は文革の迫害による深刻なトラウマで内心の率直な気持ちを表明することを恐れ、自己監視・自主規制するだけでなく、漢人の経済力に圧倒されるようになった。

 現在、内モンゴルの人口構成は漢人の大量流入で、モンゴル人など少数民族はわずか17%となっている。ただし、漢人は主に都市部で、広大な草原や山岳地帯は少数民族が伝統的な生活を営んでいるが、その自然環境が開発独裁により深刻に汚染されている。

拡大フフホト市内の商業施設。内モンゴル自治区では交通標識などはモンゴル文字の併記が義務づけられているが、漢字だけの看板も多い。 Carlos Huang / Shutterstock.com

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筆者

劉燕子

劉燕子(りゅう・えんし/リュウ・イェンズ) 現代中国文学者・作家・日中翻訳家

神戸大学非常勤講師。関西大学大学院修士課程修了。専門は現代中国文学。著書に『中国低層訪談録――インタビューどん底の世界』(共編著、集広舎)、『中国が世界を動かした「1968」』『天安門事件から「〇八憲章」へ』『「私には敵はいない」の思想』(いずれも共編著、藤原書店)、編訳書『劉暁波伝』(集広舎)、共訳書に『墓標なき草原』(岩波書店)、共訳『殺劫―チベットの文化大革命』(集広舍)、編著訳『チベットの秘密』 (集広舍)がある。