スポーツ庁初代長官・鈴木大地氏が退任。四つの観点から5年間を評価する
東京オリパラを迎えることなく室伏広治氏に会長をバトンタッチ。
鈴村裕輔 名城大学外国語学部准教授
「競技」と位置づけられた障害者スポーツ

スポーツ庁が発足。看板前に立つ鈴木大地長官=2015年10月1日、東京都千代田区
長らく厚生労働省の所管だった障害者スポーツ政策は、2014年に文部科学省に移管され、スポーツ庁の発足とともに同庁の健康スポーツ課が担当することとなった。
担当する部局が変わった背景には、2011年8月施行のスポーツ基本法が障害者の自主的かつ積極的なスポーツを推進するという理念を掲げたこと、さらにパラリンピックをはじめ障害者スポーツの競技性の向上があった。
換言すれば、厚生労働省で障害者福祉の一環と位置づけられていた障害者スポーツが、スポーツ庁のもとで競技と位置づけられたかたちである。競技性が認められたのは、障害者スポーツにとって画期的であった。
スポーツによる健康増進、地域活性化、障害者スポーツ、スポーツ関連産業の振興策などの推進を、重要政策とした点も見逃せない。
スポーツ庁が掲げる「スポーツの楽しさを子どもたちに実感させる」「高齢者や障害者が地域において継続的に運動できる環境を作る」「スポーツ無関心層への働きかけ」「優れたスポーツ指導者の育成」など、スポーツ庁が掲げる項目は、一見すると総花的だ。だが、これらはいずれも、2020年に開催されるはずだった東京オリンピック・パラリンピック後を見据え、スポーツ庁が打った布石でもあった。
発足当初、スポーツ庁はスポーツ政策を総合的に推進する機関であることを強く意識していたと言える。
「オリンピック庁化」が進んだスポーツ庁
スポーツ庁が2016年10月にまとめた「競技力強化のための今後の支援方針」、通称「鈴木プラン」は、2020年以降を見通した強力で持続可能な支援体制の構築を趣旨とするものであった。
「鈴木プラン」で最も重要なのは、
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