メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

ドイツ再統一30年、連帯へ「光と影」語った大統領演説

【番外】ナショナリズム ドイツとは何か/壁崩壊が生んだ「平和革命」想起を呼びかけ

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

「鉄血政策」の150年前との違い

 偉大な歴史的転換点の祝い事は、ふつう一面的です。しかし、今年の国家統一の記念には二つの顔があります。注目すべき偶然ですが、再統一30年の今年は、150年前の最初のドイツ国民国家(ドイツ帝国)の創設と重なります。この偶然の発生が焦点となります。なぜなら、この二つの出来事は極めて異なり、全く異なる考えによっていたのです。

 1871年の国家統一は近隣との戦争の後、鉄と血による粗暴な力によってもたらされました。それはプロイセンの支配、軍国主義とナショナリズムの上に築かれました。数週間前、私はドレスデンにあるドイツ連邦軍事史博物館を訪れました。無数の古い児童書が長いひもで天井からぶら下がっていました。その本の中で、テーブルの端をやっと見渡せるほどの背丈で、誇らしげに制服を着て、戦争に行く準備を熱心にする小さな男の子たちを見ました。この戦闘的ナショナリズムの栄光、この戦争の栄光と英雄の死は、この子たちが歩けるようになった頃から時代の運命的精神でした。ドイツ帝国の創設は、第一次大戦の大惨事へと間もなくつながります。

 「鉄と血」というのは、このドイツ帝国の宰相ビスマルクが進めた「鉄血政策」のことだ。ビスマルクは、いまのドイツ北部からポーランド西部にかけて広がっていたプロイセンの首相だった。軍備拡張を進めてオーストリアやフランスとの戦争で勝ち、小国に別れていたドイツをプロイセンを中心に統一へ導いたことで知られる。

拡大国立ドイツ歴史博物館でのドイツ帝国に関する展示と首相ビスマルクの像の写真=2月、ベルリン。藤田撮影

 日本で言えば維新の元勲のような存在だが、そのビスマルクが体現した「戦闘的ナショナリズム」にシュタインマイヤー大統領は否定的だ。演説にあるようにドイツ帝国は第一次大戦で敗れ、帝政が潰える。

 30年前に起こった大きな変化について私たちが共有するイメージは、(ドイツ帝国と)何と異なることか。人々は壁の上で祝い、うれし泣きをし、抱き合います。(東ドイツの)兵士や人民警察の警官が銃を置きます。恐怖の局面は変わりました。国民は命令に従うことを拒み、強かった国家は力を失いました。

 他の変化もありました。1990年の再統一は軍事的な威嚇や征服の戦争によるものではなく、国際交渉から生まれ、合意に基づき、欧州と国際的な平和的秩序によって支えられました。長い冷戦下のあらゆる挫折にかかわらず、何世代にもわたる政治家たちが第二次大戦後にこの秩序を築いたのです。

 ポーランドやソ連との平和条約なしには、(第二次大戦後にドイツ・ポーランド国境となる)オーデル・ナイセ線の国際的な承認なしには、(1975年の全欧安全保障協力会議に始まる東西緊張緩和の)ヘルシンキ・プロセスなしには、NATO(北大西洋条約機構)とEUなしには、再統一はなかっただろうことを常に想起せねばなりません。同様に、近く90歳になる(元ソ連共産党書記長)ミハイル・ゴルバチョフの勇気なしには。このすべてを私たちは忘れず、感謝を述べます。

 また、米国なしには、米国の強くて尊敬される戦後秩序への基本的なコミットメントなしには、米国の欧州統合に対する無条件の支援なしには、今の私たちの再統一はなかったでしょう。この機会に米国に心から感謝を述べます。欧州の友人たちに対してと同様にです。

 軍事力を軸にした1871年の統一と異なり、冷戦下の曲折を経た1990年の再統一が国際的な協力と和解によって実現したと強調する。冷戦の勝者とされる米国だけでなく、冷戦終焉へソ連を導いたゴルバチョフにも感謝を述べるところが興味深い。

拡大1997年、朝日新聞のインタビューに応じるゴルバチョフ元ソ連共産党書記長=モスクワ。朝日新聞社

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

藤田直央

藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)

藤田直央の記事

もっと見る