政権交代、首相交代……。松井孝治が思うこと(上)
2020年10月10日
安倍晋三氏から菅義偉氏に首相が交代しました。1990年代以降、「自民党1党支配」の弊害が叫ばれ、日本でも政権交代が起こりうるようにしようというとりくみの末に、2009年に民主党を中心とする政権が生まれた。と思ったら、2012年に自民党中心の政権に戻り、歴代最長の安倍政権、そして菅政権へとバトンを継ぐことになりました。この状況をどうみるか。これからどうすればいいのか。通産官僚や参議院議員、鳩山内閣の官房副長官として、行政改革や政権交代にかかわってきた、松井孝治・慶應義塾大学教授に聞きました。(聞き手・松下秀雄「論座」編集長)
――安倍長期政権に続き、菅政権が誕生しました。政権交代可能な2大政党をつくろうとしてきた90年代以降の動きから考えると、皮肉な結果です。
ぼくは平成の初期、西暦でいうと90年代に官僚として省庁や首相官邸をみて、改革を進めていくために、官邸が司令塔になって引っ張っていかなきゃいけないと痛感しました。それが政治の世界に入る原点でした。
平成期は「政治主導」をかたちづくった時代です。
エンジンは二つあって、その一つは政治改革。累々たる疑獄事件が起き、リクルート事件が最後の一押しになって、こんな政治でいいのかと政治改革が行われた。選挙制度改革や政党助成制度の導入は、公認権や資金を握る政党中枢のガバナンスを強める結果になりました。
もう一つは橋本龍太郎首相のもとで進められた橋本行革。内閣主導・官邸主導を強め、各省の割拠を弱める改革です。
安倍政権は、政策的にいうと、それなりの実績を上げたと思います。外交・安全保障上の脅威もある中で、トランプ大統領という超個性的な指導者と付き合って、日米の信頼関係を確保したこと。株価をそれなりのレベルに上げたこと。失業率を低く抑えてきたこと。有効求人倍率が上がったのがすべて安倍政権の政策運営によるものか、団塊の世代の大量退職のような経済社会的な構造要因かはわからないけれど、安定的に推移していた。
他方で、ぼくからみて物足りないのは、20年、30年先の将来を見据えてやらなければならない改革に手がついていない。お年寄りを支えるのは大事だけれど、若年世代も納得できる社会保障の制度改革をしないといけない。中長期的な財政の持続性を確保しながら、資源をどこに配分するのか、見直さなければならない。経済環境は比較的落ち着いていたし、安定した政権基盤があるのだから、やるべきでしょう。昭和期とか平成初期に比べて、各省庁や族議員の抵抗ははるかに弱くなっているのに、なぜ手がつかなかったのか。
政権に批判的な人たちは「安倍内閣の怠慢」というでしょうけど、ぼくからいわせると、平成期に実現しようとしていた、政界の競争的な環境が実現していなかったことが大きな要因です。
政治主導の大前提は、政権交代可能な複数勢力がいることです。健全な競争があるからこそ官邸主導に意味がある。それがなかったら、怖い政治になってしまう。
ところが、野党から安倍政権を脅かすような政策提案が出てこない。自民党内部でも「こんなに生ぬるくてはだめだ。30年後の日本はもたない」という危機意識に基づいた改革案が出てこない。だから、やらなくても政権は安泰だった。
我々の子どもたちの時代に、凋落した日本にならないように、全面的な改革をしなければならない。政治が動かないなら、かつて「民間政治臨調」が政治改革を動かしたように、メディアをふくめて社会全体が政治に対して問題提起をしなければならないんじゃないか。「令和臨調」のようなものをつくる必要があるんじゃないか。最近、そんなことを考えています。
今回のコロナ禍で、私自身、政治や行政の課題を再認識させられました。
赤ちゃんからお年寄りまで、全員に10万円の特別定額給付金を配ることが、2カ月も3カ月もかかってできない政府って何なんでしょう。国民からまったく遠い存在に
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