2020年10月07日
私は9月16日の論座で『新政権に望む~「権力維持の罠」にかかった政治から脱却を!』と題するコラムを書いた。僅か一か月もたたないうちに再び懸念を表明するのは私の本意ではないが、事があまりに重要なのであえて書かざるを得ないと思うに至った。
菅政権の滑り出しは上々で期待は高い。私は先のコラムで、国民の歓心を買うための短期的行動から脱却して日本再興のための中長期的な措置を地道に追及してほしいと訴えた。
菅内閣は人気が高いうちに解散総選挙に打って出るというような事ではなく、まず実績を作ることに注力するという構えだと思う。また規制改革やデジタル化といったもう猶予できない事柄に断固取り組むという構えも好ましい。
しかし統治の在り方についての最大の懸念であった「権力を背景に異論を排除する」という行動が再びとられている疑念を目の当たりにして驚き、失望した。
とくに学術と政権の関係は思想・言論の自由と深くかかわり、どこの国でもどの歴史の道程においても、最も微妙な配慮を有する問題であるにもかかわらず、これまでの考え方に反し、日本学術会議が推薦した新会員のうち6名を排除し、その理由も説明しないという。
菅首相が安倍内閣において官房長官として政界人事や官僚人事の中核を担ってきたことから、前政権と同じように権力を背景とした人事権の行使により異論を排除しているのではないかという疑念を持ってしまう。
これまでの慣例に反して日本学術会議推薦の学者の一部を除くという以上、何故なのか、従来の国会答弁にかかわらずもはや形式的任命権ではないという事なのか、実質的な任命権を行使するならば、日本学術会議の新会員とするのを否定する理由を説明するべきだというのはもっともな意見のように聞こえる。特に新会員推薦基準が優秀な研究または業績を有する科学者とされている以上、拒否の明確な理由が必要だろう。説明がなければ、「政府の予算によって賄われている機関である以上、政府の政策に反した意見を述べた学者を入れる必要がない」という理由で拒否されたと推定されても致し方ないのだろう。
この議論は権力と知識人の関係の本質にかかわることなのでうやむやに済まされるべきことではない。「政府の機関である以上、政府の考えを支持する学者が会員であるのが好ましい」と言いうるのか。学者やその他の知識人にとって政権であれ、学会の権威的意見であれ、批判的に考えるのは当然のことなのである。
学者や知識人の役割は批判的に物事を考える事であり、そうすることにより学術的な進歩が得られる。批判を排除し、政府の意見通りの日本学術会議であってほしいと少しでも考えているとしたら、これは近代民主主義国家のあるべき姿ではない。そのような日本学術会議の持つ意味を深刻に問わねばならなくなる。
私たちは中国やロシアがますます強権体制を強め国内の引き締めのために知識人の意見を封殺しているのに対し、強い反発を覚える。私が親しく交流してきた中国の学者たちはもう自分の意見は言わない。政府の公式論のみを口にする。これではもう意味ある知的交流は成り立たない。
有料会員の方はログインページに進み、デジタル版のIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞社の言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください