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〈哀悼〉パリで大成功した高田賢三に日本政府は冷たかった

無名で渡仏し才能を見いだされた不器用な青年の心は最後まで「あくまでも日本人」

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

 高田賢三が4日、新型コロナウイルスの合併症によりパリ郊外の病院で亡くなった。81歳だった。日本のメディアは大々的に訃報(ふほう)を報じたが、実は第一報はフランス通信社(AFP)の至急報だった。日本のメディアはその後追い報道だ。

 AFPが至急報で報じたのは「コロナ死」以前に、賢三、というよりKENZOが第一級の世界的デザイナーだったからだ。日本の民間人の訃報がAFPの至急報で報じられたのは1991年8月に死去した本田技研の本田宗一郎、99年10月死去のソニーの盛田昭夫ぐらいしか思い出せない。この二人と比べ、日本での生前の高田賢三はちょっと“不遇”だったのではなかろうか。

ケンゾー2000年春夏コレクションのフィナーレでモデルたちに囲まれる高田賢三さん(中央)=1999年10月7日、パリ

フランスの最高勲章を受章した賢三

 KENZOが日本でフランスほど認知されていないとつくづく思ったのは、報道がAFPの後追いになったことにくわえ、記事の中でフランスの最高勲章レジョン・ドヌール勲章シュバリエ章受章(2015年)に触れた日本のメディアが、寡聞にして見当たらなかったこともある。

 同勲章は、フランス政府の枠組みでの受賞と、各国大使館、日本の場合は駐日フランス大使館の枠組みでの受賞の2種類ある。例外的に、勲章の最終的任命者であるフランス大統領からのじきじき授与される場合もある。

 日本人の叙勲者の大半は、デザイナーをはじめ、企業人や外交官など、フランス大使館の枠組みでの受賞者だ。大使館に種々な働きかけを熱心にした結果、受章した者もいるとか。このフランス大使館枠組みの受章者は、日本で自ら、あるいは周辺が率先して発表するから、日本のメディアも知るところとなり、経歴にも明記される。

 フランス政府の枠組みの受章者は、新年、復活祭、革命記念日(7月14日)の年に3回、進級組も含めて発表される。各省の受章推薦者を閣議で正式決定し、大統領が最終的に任命し、政令で名前が公布され、主要紙「フィガロ」などが発表する。

 賢三は2015年、外人なので外務省推薦枠で受章した。書類審査の段階での外相はファビウス。翌年の授賞式は、ファビウスが憲法評議会議長に転任した後だったので、壮麗な憲法評議会で実施された。

官房長官は哀悼の意を表したが……

 賢三の訃報に対し、加藤勝信官房長官は5日の記者会見で、「大変残念だ。わが国の文化芸術の発信を進めてきた」と哀悼の意を表した。

 だが、これはバシュロ仏文化相の談話に遅れること半日。さらにフランスでは、エリゼ宮(仏大統領府)が6日に長文の声明を発表。「彼は日本のデザイナーの中でもっとも有名で、フランスでも同様だった」と讃(たた)え、「7人兄妹の5番目」など履歴やパリに店を構えて以来の業績を詳細に記述。「KENZOは大胆とエレガントという二つの言葉、すなわちスタイルの力強さと、好んで使用したひなげしの花のモチーフが象徴する繊細さを柱にした」と指摘したうえで、「大統領と大統領夫人が彼の豊かなカラーとシルエットの自由さという創造性に敬意を表すると同時に、家族と近親者、仕事を共にした人たちに哀悼の意を捧げる」とした。

 こうしたフランスの対応を見るにつけ、日本政府は官房長官の発言ほどには、賢三を評価していなかったのではないかという気がしてならない。

 ふと、賢三が1999年4月の春の叙勲で「紫綬褒章」を受章したとき、「日本では忘れられたと思っていたから嬉しかった」と述べていたのを思い出した。デザイナーの中に文化勲章受章者がいるのを考えると、賢三の「紫綬褒章」は妥当なのかどうか。日本の勲章制度、受章者の選択の仕組みはどうなっているのか、と疑義を呈したくなる。

 構造主義の哲学者で人類学者のレビィ・ストロースが、93年春の外国人叙勲で勲二等旭日重光章を受章した際、同時受章のフランス人経済人が勲一等だったことも思い出す。関係者は「日本との関係を重視した」と説明し、この経済人が日仏経済関係の会長か何かの重職についていたことを挙げた。

 この関係者は多分、レヴィ・ストロースの名前もほとんど知らず、ましてや著作を読んだことも、「悲しき熱帯」が日本をはじめ世界的ベストセラーだったことも知らず、日本人はもとより世界に与えた知的興奮などにも疎かったに違いない。

ケンゾー2000年春夏コレクションのフィナーレ =1999年10月7日、パリ

無名でパリにやってきた口下手のKENZO

 パリの名物のひとつである「パリコレ」(コロナで今年は変則的になったが、通常年4回、オートクチュール=高級仕立服とプレタ・ポルテ=高級既製服の春夏と秋冬のショー)に登場した日本人デザイナーも、パリに店を構えているデザイナーもいる。だが、彼らは日本で名を挙げた後、パリに進出した。失礼ながら、「パリコレに出品」「パリに店がある」ということが一種のPRに過ぎない人もいる。日本では大御所でも、パリの店は閑古鳥が鳴き、引き上げた例もある。

 KENZOがこうした日本人デザイナーと異なるのは、無名でパリにやってきて、ゼロから出発した点だ。

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