内閣記者会の記者たちは、もう一度初心に立ち返り真実を追求する志を取り戻すべきだ
2020年10月08日
首相を囲んでパンケーキを食べる会から、「グループ・インタビュー」という奇々怪々な会合まで、この国の権力者とマスコミ各社政治部記者との関係は、かつて見たことのない不可思議な領域に入っているようだ。
原宿で首相と大勢の政治記者たちがパンケーキをモグモグやってる光景は、首相の強弁をそのまま飲み下している記者たちの萎れた精神に通じるものがある。
緊張感のないこの萎れた風景に至る道を整理してみよう。
発端は、菅義偉首相による日本学術会議会員の任命拒否だった。
学術会議の会員は3年に一度、定数210人の半数が交代するが、今回、学術会議が官邸に提出した105人の推薦候補のうち6人が任命されなかった。
このことの大きい問題点は次の3点にある。
第一に、菅首相は果たして任命拒否できるのか。越権行為ではないのか、という疑問点だ。
学術会議は1949年に創設され、翌50年には「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」という声明を出し、67年にも「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発している。
さらに2017年には、「軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にある」として、先に記した二つの声明を継承することを宣言している。
対中戦争から太平洋戦争に駆け下った政府に協力してしまった戦前科学界への痛切な反省が学術会議創設の精神を形作っており、そのことが「学問の自由及び学術の健全な発展」という考え方に背骨のようにつながっている。
この「学問の自由」という言葉は憲法23条の「学問の自由は、これを保障する」という条項から来ている。何者からも圧迫を受けない「学問の自由」が失われた時、その国や国民は未来への探照灯を失う。
「学問の自由」を掲げる学術会議の人事に介入することは、こうした圧迫以外の何物でもない。
1983年、内閣法制局は学術会議に関係する想定問答をまとめ、首相の任命は「実質任命であるのか」という想定の問いに対して「推薦人の推薦に基づいて会員を任命することとなっており、形式的任命である」と明確に記している。
当時の中曽根康弘首相も「政府が行うのは形式的任命にすぎません」と国会で答弁している。これは当然ながら憲法23条の趣旨と学術会議創設の精神を重く踏まえたもので、これまで唯一の有権解釈とされてきた。
ところが、第2次安倍晋三内閣になって雲行きが変わった。
駆け足で振り返ってみると、2014年7月に集団的自衛権の行使容認を閣議決定、翌15年9月に集団的自衛権を含む安全保障関連法が成立。この動きと並行して14年4月に、それまでの武器輸出三原則が防衛装備移転三原則に変わり、武器輸出や武器の国際共同開発ができるようになった。この新三原則の狙いは日本の防衛産業の育成にあり、15年10月、武器輸出や共同開発などを管理する防衛装備庁が発足した。
学術会議が2017年に改めて、戦争目的の科学研究を行わないとする声明の継承を宣言したのは、このような安倍政権の動きに危機感を抱いたからだ。
これまでの報道を整理すると、安倍政権と学術会議の緊張関係が表面化したのは2016年夏。欠員を埋める補充人事で3つのポストに各2人ずつ候補者を提出したが、安倍官邸は難色を示し欠員となった。
さらに2018年には日本学術会議法を所管する内閣府から内閣法制局に対して法解釈の問い合わせがあり、安倍政権末期の先月上旬にも再度問い合わせていた。
ここで最大の疑問点は、中曽根内閣時の内閣法制局が内部文書で示していた「首相の任命は実質任命ではなく、形式的任命」であるとする有権解釈が変わったのかどうか、変わったとすればいつの段階で変わったのか、さらに言えば、なぜ変える必要があったのか、ということだ。
もちろん、これらの疑問点に対する回答は国会で明らかにしなければならない。菅首相は、学術会議には政府予算が出ており任命権は首相にあるとしているが、その実質的な権限が生じるのは、前記のようにこれまでの有権解釈が変更された経緯や理由が国会で議論され、国民が納得してからだ。
この意味で、「菅首相は果たして任命拒否できるのか。越権行為ではないのか」という第一の問題点については何一つクリアされていない。
菅首相の任命拒否が孕む大きい問題点の第二は、首相が拒否した真の理由だ。
今回任命を拒否された6人の学者に共通している点は、第2次安倍政権時の安倍首相や菅官房長官が強引に進めてきた施策に反対を表明していたことだ。
芦名定道・京大大学院教授や宇野重規・東大教授、岡田正則・早大教授、小澤隆一・慈恵医大教授、加藤陽子・東大大学院教授の5人はそろって集団的自衛権を含む安全保障関連法制への反対を表明しており、松宮孝明・立命館大大学院教授は「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織的犯罪処罰法に強く反対した。
6人は、反対する「学者の会」の呼びかけ人を務めたり、野党が推薦する公述人や参考人として国会に呼ばれたりしており、政治参加に積極的だった。
ここまで文脈を追ってくれば誰もが推測できるように、菅首相が6人を任命しなかった真の理由は、第2次安倍政権の主要施策に目立って反対した学者たちのパージだろう。
しかし、菅首相はこの真の理由について言及することはできないだろう。安倍前政権への親密度で知られる田崎史郎氏は10月6日放送のテレビ朝日の番組でこう語っている。
「政府の弱点があって。6名の(拒否)理由を明かせないのが弱いところ。多少、外郭的な理由でも説明してくれれば腑に落ちるんですが」
田崎氏は、安倍政治の継承を公言する菅首相の応援団でもあると見られるが、この言葉は正直な感想だろう。安全保障関連法制などに反対したから任命を拒否した、という理由を明らかにした瞬間、菅首相の命運は尽きてしまう。
6人は憲法や政治学、歴史学などを専門分野とする高名な学者であり、それぞれの主張と行動は自らの研究と深い思索に基づいて発現してきたものだ。この主張と行動が拒否の理由ということであれば、それこそ「学問の自由」を蹂躙したことになる。
恐らくは菅首相の喉から出かかっているだろうが、この本当の理由を言うことは、反対意見につながる学問の存在は認めないという政治姿勢を表明することになる。
これを逆に言えば、まさにパンケーキの裏に隠された菅首相の真の姿が透視図のように浮かび上がってくる。
そして、この第二の問題点に付随して生じてくる第3の問題点は、菅首相の真の姿を浮かび上がらせるべきマスコミ各社、そして記者自身の問題だ。
10月3日午前7時24分から同9時6分まで、菅首相はパンケーキで有名な「Eggs ’n Things(エッグスンシングス)原宿店」に、マスコミ各社の首相番記者たちと繰り出した。発言は報道しないという約束の「オフレコ懇談会」である。
推測でしかないが、首相と記者たちは恐らく店自慢のパンケーキをモグモグやったのだろう。では、その「懇談」とはどのようなものだったのか。
これも推測の域を出ないが、学術会議会員の任命拒否問題について、菅首相の口からは抽象的な説明が洩れ、記者たちも追及することなくモグモグを続け、最後に口を拭ったのだろう。
私も朝日新聞社の経済部記者時代「オフ懇」を何度も経験しているが、役に立ったことは一度もない。当局者の背景説明などはそれまでの取材でイヤというほど知り尽くしており、わざわざ「オフ懇」などを開く必要はない。
仮に、菅首相が「実は――」と本当の理由について語り出したらどういうことになるだろうか。急いで言っておくと、その可能性はない。政権運営の観点から極めてマイナスになるそのような発言は「オフ懇」でも出るわけがない。
当局者の意識としては「オフ懇」も「記者会見」とあまり変わりがない。極めて重大な発言をしてしまった場合、それを報道されないという最終的な保証は何もないからだ。
しかし、これも言っておかなければならないが、学術会議会員の任命拒否という極めて重大な問題が眼前にあるにもかかわらず、軽々しく「パンケーキの会」についていく記者たちには、オフレコの約束を破ってそれを報道する気概はないだろう。
この「パンケーキの会」には東京新聞と朝日新聞、京都新聞の3社が欠席した。このうち、東京、朝日の2社は紙面を見る限り、「会食ではなく会見を」と主張して出席を見合わせたようだ。
私は、この欠席の判断は正しいと考える。菅首相から「パンケーキの会」の提案を受けた時、内閣記者会が本来取るべき姿勢は、まさに「オフ懇」を断り、記者会の総意として記者会見を求めることだったろう。
前述のように「オフ懇」はほとんど報道の役に立たないし、記者の問題追及も甘くなりがちだ。記者クラブの数少ない存在意義のひとつは、記者たちの総意として記者会見を申し入れることにある。
ところが、「パンケーキの会」から2日後の10月5日、記者会見ではなく「グループ・インタビュー」という名の奇怪な説明会が開かれた。「パンケーキの会」に出席した北海道新聞、読売新聞、日本経済新聞の3社が代表して菅首相に質問を続け、あとの各社記者はその音声を聞いているだけという前代未聞の会合だ。
通常の記者会見では、冒頭に記者クラブの幹事社が2、3問質問をして、あとは自由な挙手と問答に移るが、最初から最後まで幹事社質問が延々と続いているようなものだ。様々な角度から想定外の質問が飛び出してくる本来の記者会見と違って、かなり打ち合わせと想定問答を作りやすい形式だ。
「グループ・インタビュー」の27分間を動画で見てみると、菅首相は終始原稿を読んでいた。すべて想定問答のシナリオ通りだったのだろう。
肝心の任命拒否の理由については、菅首相はこう説明した。
「日本学術会議は、政府の機関であり、年間約10億円の予算を使って活動していること、また、任命される会員は、公務員の立場になること、また会員の人選は、推薦委員会などの仕組みはあるものの、現状では事実上、現在の会員が自分の後任を指名することも、可能な仕組みとなっていること、こうしたことを考えて、推薦された方をそのまま任命してきた前例を踏襲してよいのか、考えてきました」
「まさに総合的・俯瞰的活動を確保する観点から、今回の任命についても、判断をさせて頂きました」
6人の任命を拒否したことについて、この説明で理解できる人はいるだろうか。
「予算」や「公務員」の問題などは1983年の時から変わっていない。公式非公式の推薦方法の問題などは学術会議内部の問題であり、6人の拒否とは関連性がうかがえない。
そして、「総合的・俯瞰的活動を確保する観点」が拒否の理由だとする説明に至っては、本来言葉が持つ相互理解への通路がまるで見当たらない。「幹事社」の北海道新聞記者が質問を重ねていたが、当然予想されるように真実追求への厳しさを伴った質問ではなかった。
第2次安倍政権以来、首相会見はかなり形骸化してきたのではないか、と私は考える。様々な会見を経験してきた私から見て、安倍前首相の言葉はほとんど官僚の作った安上がりの建前に過ぎなかった。
今回の任命拒否問題で、菅首相にはその言葉以上に危険なものを感じる。これまで通用してきた有権的解釈を簡単に無視し、その説明も実質的にカットする。
さらに、あくまで記者会見を回避して、まるで戦前の大本営発表のような「幹事社質問」だけの場を設ける。
当局者に質問し有益な回答を得るには、記者会見を開いて、各社の記者がかわるがわる質問に立つしかない。
内閣記者会の記者たちは、もう一度初心に立ち返り真実を追求する志を取り戻すべきだ。記者たちがその志を見失えば、社会は未来への探照灯を失い、闇の中をたださ迷うだけになってしまう。
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