メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

菅政権最初の「難所」学術会議問題にみる政権の特徴と切り抜ける術

「個人が自らによって立つこと」を重視する菅首相とリベラルの融和は可能か

三浦瑠麗 国際政治学者・山猫総合研究所代表

 菅義偉内閣総理大臣が選出され、新政権が発足してひと月。この間に見えてきたものがある。それは、リーダーが何にこだわるか、どんな信条を持っているかということで、明確に物事が変わる時代が来たということだ。公選制ではないにもかかわらず、首相の「大統領化」が進んでいるということもできる。

インタビューで日本学術会議の人事問題に答える菅義偉首相=2020年10月9日午後4時54分、首相官邸、瀬戸口翼撮影

 前首相の安倍晋三さんが政治家として一貫してこだわったのは、戦後レジームからの脱却であり、日本の国際社会における存在感を再び力強いものとすることだった。これに対し、菅さんがこだわっているものとは、普通の人の「当たり前の感覚」を持ち込んで判断するということのようだ。両者の違いは、イデオロギーや大きな国家観の有無にひきつけて語られることが多いが、より根本的に見ると、人が「何によって立つか」という世界観の違いに根ざす。

安倍さんの「保守の典型」の世界観

 安倍さんの世界観は分かりやすく、「保守の典型」に見える。人びとは伝統や秩序、国、郷土、家族などに規定されており、人間が直面する選択肢はその制約の中で努めてよく生きることでしかない――。この考え方は、伝統的な保守の人間観だ。

 こうした世界観は今あるもの、歴史の長いものを残そうとするため、必然的に分権的で多元的な社会を形作る。構造を変えることを目指すのではなく、既存の構造のもとでの善行やチャレンジを取り上げてほめたたえ、メッセージを発信する。

 戦後レジームからの脱却を目指す過程で、安倍さんにはいくつかの分野で構造そのものを変えようとした形跡はあるものの、いずれも「国家」や「家」といった昔からあるものの揺らいでいる部分を補強する方向に向かっており、革命的ではなかった。地方活性化や経済成長のためにトップダウンの手法を持ち込んだことは確かだが、それとて既存の秩序を突き崩すようなものではなかった。

 政権のイデオロギー性は、一部の物事に向けられており、そのほかは全体として穏健な改革派保守の政権だったといえよう。

個人の能力・権限・権力を重視する菅さん

 一方、菅さんの哲学を見る限り、おそらく政治イデオロギーとしては保守の範疇(はんちゅう)ではあるものの、「何によって立つか」に関しては人間、つまり自己に置く比重が大きいことがうかがえる。

 自民党総裁選においては、雪深い秋田に育ち、自分の意志で東京に出て力試しをしてきたことが強調された。他の候補者、石破さんも、岸田さんも名門の政治家一家に育った。菅さんだけが国政レベルの政治家一家に育っておらず、その点がクローズアップされたわけだけれども、そのぶん最も実力主義を信じているのは確かだろう。

 突き詰めると、菅政権の特徴は、個人の能力、個人の権限、個人の権力を発揮することを重視するというところに行きつく。これが、やはり個人を重視するリベラリズムとどのように違うのかについては、本稿の最後で論じるとして、まずは菅政権の最初の「難所」のように見受けられる日本学術会議の人事を例に、本政権の特徴を論じてみることにしよう。

にわかにその名が知られた日本学術会議

 推薦された会員候補のうち6人が除外されたことで、にわかに世間にその名が知られることになった日本学術会議は、さまざまな分野の学者が集う内閣府傘下の組織である。戦中の学会が国家の軍事化に対して協力的だったことから、学会のリベラル化を図ることを目的にGHQの占領時代に設立された。その呼称が適切とは思わないが、「学者の国会」とも呼ばれている。

 これまでの慣例では、会議の新規メンバーは推挙に基づいて内閣総理大臣が形式的に任命することになっていた。過去の国会答弁をみても、学問の自由の原則への配慮から、通常の行政機関とは異なり、その独立性を重視して運営されてきたことに特徴がある。しかし近年は、形式的承認に少なくとも事前調整の条件を持ち込もうとする内閣官房との間で駆け引きがあったようだ。

 本件が政治性を帯びているのは、推薦候補のうち任命の選からもれた6人に、特定秘密保護法や安保法制などの安倍政権時代の政策に反対していた過去があったからだ。除外されたのは、政権が進める政策に反対していたからではないかと、メディアもアカデミアも任命の政治化に危機感を抱いた。学問の業績に基づいて決められるべき人選が、思想・信条に基づいて決められたのではないかと憂慮する声が上がったのである。

「6人除外」への反発と政府の説明

 学界やメディア人の多くは、「学問の自由」へのあからさまな挑戦だとして政府の決定に猛反発している。政府は個々の学術研究の内容に踏み込んで判断しているわけではないと表明しており、逆にその判断に政治性があることは明らかだが、報道されている論点とはやや異なるところに力点をおいた説明が行われている。

首相官邸前で、日本学術会議が推薦した会員候補が任命されなかった問題について抗議する人たち=2020年10月6日夜、東京・永田町

 すなわち、法的には任命権は内閣総理大臣にあるため、一定の任命拒否の権限もあるという主張である。過去の慣例でも、すべての推薦者を機械的に任命していたわけではなく、

・・・ログインして読む
(残り:約4455文字/本文:約6564文字)