「気高い嘘」への疑問
2020年10月14日
10月9日にアップロードされた與那覇潤「「元・学者」が日本学術会議騒動に抱いた大いなる違和感:平成の諸学界の総括こそ必要だ」に心を動かされた。「一学術団体の人事に目をとられるあまり、国のかたち全体やそこにいたる歴史の文脈を忘却し、自身が行ったばかりの「自由の放棄」を糊塗する人びとには、大きな疑問を持つ」という部分と、「学者たちの共同体の全体がみずからを偽って省みないとき、知性は滅ぶのである」という最後の文章は重い。
ただし、「ひねくれ者」の筆者に言わせれば、すでに知性は滅んでいるのではないかと思う。日頃、インターネットを通じて世界の潮流をのぞき見しているような仕事をしている者からみると、日本の議論は「現実離れ」しているように思える。あるいは、「みずからを偽って省みない」ために、「現実」を無視しているように感じる。こんな筆者からみると、世界の現実はもっとずっと深刻であると指摘しなければならない。そこで、ここでは筆者の感じる別の違和感を語りたい。
英国の学者ウィリアム・デイヴィス著Nervous States: How Feeling Took Over the Worldという本がある。最近になってたまたま、「フィナンシャル・タイムズ」に掲載されたその書評を読む機会があった。そこに、優れた現状認識が的確にのべられていたので紹介したい。
「知識という概念自体さえ、利害関係のない客観性の主張を失ってしまっている。我々が生きているのは、事実や情報が発見され共通の善のために共有されるのではない、競争上の優位性をあたえるために経済的価値のある商品として私有化されている「知識経済」なのだ。これは、「合意可能な共通現実」を構築するという科学の伝統的プロジェクトとは正反対のものである」
今回の騒動で侃々諤々の議論をしている人々の多くは「合意可能な共通現実」の構築という科学の伝統プロジェクトを信じてきた人々なのではないか。専門家たる者、あるいは、いわゆる科学者は、「政治、感情、意見の対立を超えた」存在であり、そのようにみえる場合にのみ信頼できると信じているに違いない。しかし、大量の情報が瞬時に世界中を飛び交っている現在、知識を扱う専門家の評価にしても、その知識自体にしても政治や感情などと区別が判然としなくなっている。筆者のように、知識がすでに客観性ではなく商品性のもとに置かれていると認めざるをえないとみなす者からみると、この新しい現象への対処こそ重要なのではないかと思える。
この書評では、デイヴィスが、「知識の商品化は公共生活や経済生活が紛争によって定義づけられるようになり、戦争と平和の区別が解消されつつある、より広範な傾向の一部であるとみなしている」と指摘している。これが意味するのは、あらゆる事実が政治化されてしまい、事実や証拠に立脚した議論に基づく意見の形成すら不能ということだ。その結果、感情に頼った判断や議論が幅を利かせる。それゆえに、デイヴィスの本の副題は「感情が世界をどう支配するのか」となっている。
2017年1月21日、トランプ大統領は自分の就任式に集まった人数をめぐって、マスメディアの報道が嘘をついていると批判した。この話をデイヴィスは著書のなかで紹介しているのだが、メディアは2009年のオバマ大統領の就任式の写真や数字などと比較する報道をしたのに対して、「トランプにとってこれは単なる「事実」の不一致ではなかった」と彼は書いている。「それは二つの感情の対立であった」というのである。それは、「批評家の傲慢な嘲笑」と「支持者の愛」だという。
デイヴィスは、「我々が「リアルタイム」の出来事やメディアにより多く同調するようになると、不可避的に証拠よりも感覚や感情により信頼を置くことになってしまう」と指摘している。「知識は冷厳な客観性よりもそのスピードとインパクトで評価されるようになり、感情的な虚偽はしばしば事実よりも速く伝わることになる」から、リアルタイムの情報伝達は必然的に感覚や感情を強烈に刺激するのである。
こうした変化があるからこそ、トランプ支持者は事実よりも感情に信頼を置くようになり、どんな事実を突きつけても、トランプへの信頼はそう簡単に揺るがないのだ。これは、決して好ましい現象ではない。だが、この現実に目を背けて理想論ばかりを唱えても、問題を解決するのは難しいのではないか。
ここで、デイヴィスが事実を主張する側に「傲慢さ」を見出している点に注目してほしい。同じデイヴィスの本を論評した別の書評には、つぎのような指摘がある。
「専門家は、自分たちを究極の権威者とし、自分たちの専門知識を理性の代弁者とみなすようになる。政治が専門知識を可能にするのではなく、専門家は自分たちが政治を可能にしていると思い込むようになる。そのような傲慢さが人々を疎外し、現代政治の基盤となっている理性と感情の基本的な区別を崩してしまう。」
こうした姿勢こそ「気高い嘘」(noble lies)を正当化するプラトンの主張に
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