大野博人(おおの・ひろひと) 元新聞記者
朝日新聞でパリ、ロンドンの特派員、論説主幹、編集委員などを務め、コラム「日曜に想う」を担当。2020年春に退社。長野県に移住し家事をもっぱらとする生活。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
政治家が抱く「カウンター・デモクラシー」への警戒感
政治家は、学者や研究者とどんな関係を結びたいのだろう。
コロナ禍で政府は専門家会議をつくった。対策を立てるための質の高い知見を得たかっただけでなく、自分たちの方針決定を権威づける狙いもあったようだ。
人々は、感染症について政治家より専門家の分析や見通しに耳を傾ける。しばしば政治家はその見解を頼りに政策を語る。それどころか、政策決定の責任さえ肩代わりしてもらうかのような場面も少なくなかった。知見から責任まで専門家に丸投げ。
他方、日本学術会議の人事への介入は、6人の学者を邪魔な存在と考えただけではなさそうだ。「行政改革」を掲げて介入をさらに進めようとしているところを見ると、この会議自体を余計な機関だと感じているようでもある。
2015年に起きたことを思い出す。衆議院の憲法審査会で参考人として呼ばれた憲法学者が3人とも安保法制案を「違憲」と断じた。ろうばいした政府・与党からは、「学者の意見を聴いて戦後の行政をしていたら、日本はとんでもないことになっていただろう」とか「人選ミスだ」とかいう声が聞こえた。
政治家は、学者や研究者の助けがほしいのか、ほしくないのか。その意見を聴く気があるのか、ないのか。
自分を権威づけてくれたり、責任を肩代わりしてくれたりする場合は重宝するが、批判や異議を投げかけて、政治の責任を可視化したり権威を相対化したりするような学者は遠ざける、ということだろう。
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