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菅義偉首相の所信表明演説を聴いて~大きな期待と多少の不安

「2050年脱炭素」宣言には拍手。目指すべき社会の「自助・共助・公助」には違和感

田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授

臨時国会で所信表明演説を行う菅義偉首相=2020年10月26日、国会内、藤原伸雄撮影

 臨時国会が10月26日に召集され、菅義偉首相が初めて所信表明演説をした。28日には代表質問が行われ、菅政権にとっては初の国会論戦が始まる。

 私は何人かの首相の国会演説に関与したが、なかでも宮沢喜一首相と細川護熙首相の演説には深く関わった。この二人は演説の内容を自分で組み立てて書いた「特別の人」だった。特に所信表明演説は官僚任せにはしなかった。

首相の個性が出る所信表明演説

 周知の通り、首相の国会での演説には、「施政方針演説」と「所信表明演説」の二つがある。

 前者は予算案が上程される国会の冒頭で行われる演説だ。政府が提出した予算や政策の趣旨を説明するのが目的である。

 これに対し後者の「所信表明演説」は、首相が自らの決意を表明するとともに、政治理念や哲学を語り、目指したい将来への展望や指針を示すものである。だから、この演説には否応なく、首相の人間として、政治家としての個性が表出する。

 施政方針演説は、各省からあがってくる関係予算の趣旨を“短冊”のように書いて、それをつなげてつくっていく。いわば、所信表明で示された理念を「下地」として、そのうえに短冊が「柄」のように並べられるのである。それゆえ、ある程度、官僚主導の草稿になったとしても、やむを得ない面がある。

事務所にこもって文章を練った宮沢首相

 所信表明演説にはそうした縛りはない。その分、首相は自由に所信の「絵図」を描くことができる。宮沢首相はとりわけ所信表明演説の作成に全力を傾注していた。冷戦終結直後の政権(1991年発足)だから、“未踏への挑戦”という言葉を使うことに強くこだわった。

 休日、一人で個人事務所にこもり、演説草稿を練り上げる。私も事務所に呼ばれるのだが、宮沢首相はずっと隣室にいて出てこない。ある部分ができあがると私がいる部屋にきてそれを読み上げ、意見を求めるのである。

 私が意見を言い、それが採用されたとしても、あくまでも枝葉末節だったように思うが、演説に臨むその真剣な姿勢に深い敬意を感じ、“政治は言葉”と言われることに、あらためて納得した。

予想より好感を持つところが多く

 さて、菅首相の所信表明演説である。

 26日午後、テレビで報じられたその演説を、私は一言も漏らすまいと真剣に聴いた。さらに、当日夜の報道番組での菅首相の補充発言もほとんど視聴したはずだ。

 翌日の新聞各紙は「所信表明 理念見えず」(毎日)、「政策ずらり 実行力強調」(朝日)、「目標列挙『菅カラー』」(読売)などと報じ、厳しい指摘も目についたが、私自身について言えば、予想していたよりも好感を持つところが多かった。「大きな期待と多少の不安」といったところだろうか。

 今回、演説の草稿づくりを秘書官が手伝ったと一部では報道されている。だが、粗削りのところなぞ、いわゆる「官僚」任せではなく、本人が主導してつくったと推察できる。そういう首相は珍しいから、それだけでも一定の評価を受けるだろう。

衆院本会議で所信表明演説を行う菅義偉首相=2020年10月26日、国会内、飯塚悟撮影

英断だった「2050年脱炭素」宣言

 内容面では、温室効果ガスの排出量を2050年までに実質ゼロにするという目標を宣言したことには、当然のことながら拍手を送りたい。おそらく、菅首相と経済界、経産省との近過ぎない関係が、この英断を可能にしたのだろう。

 首相は26日夜のテレビ番組で、「2050年脱炭素」宣言の背景に、小泉進次郎環境相と梶山弘志経済産業相の積極的な進言があったとし、その取り組みのために二人を留任させたことを明らかにした。

 おそらく、この大きな課題を二人の閣僚に任せ、次の世代の自民党総裁候補に育てたいという期待も含まれているのではないか。私も小泉、梶山の両氏が“期待の星”であることに異論はない。

 梶山経産相は、より具体的な温室効果ガスの削減計画を、年内にも示したいと語っている。願わくば、今から10年後の2030年までに排出量を半減させる計画を示してもらいたい。30年後までと言うことだと、具体的な成果もなく時が過ぎ去る恐れがあり、宣言した当人である菅首相も100歳を超える。結末はもちろんのこと、一定の成果すら見ないことになりかねない。

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